去年は30日まで仕事して、年末に色々やってたら、あっという間に年明けてましたw
はや!
約1年前の年末はシマシマが危篤状態になって、もはやこれまでかとあきらめかけたとは思えないくらい、今は元気で2匹そろって2022年を迎えられたことが、奇跡。
(こういうときだけしか神様にお願いしない、罰当たりな私を許して。)
2021年はモーレツにインフラ関係のお仕事を頑張って、そこそこ成果も認めてもらえたので、2022年は自分の中で新しい分野であるセキュリティ関係のお仕事を頑張って成果を上げたいと思います!
そんで、今年はもう一つやりたいことがあるのよねぇ・・・。
それは、
終活!
就活ではない。
きっかけは、前回のブログにも書いたけど、自分が死ぬかもしれないと本気で思ったときに、全然死ぬ準備できてないやって思ったこと。
あれからしばらく考えてみたんだけど、やっぱり
死ぬこと自体は怖くないけど、自分に死ぬ準備ができてないことが怖い
っていう気持ちは変わらなかった。
結構前に、イェール大学のシェリー・ケーガン先生の「DEATH(『死』とは何か?)」という本を読んだときも思ったんだけど、死そのもの自体は怖いことじゃない。
人間は致死率100%なのに、なぜ人はそこから目を背けるのか?
もしくは、背けているつもりはなくても、自分にとって、死はまだ先のことのように考えて、それについて真剣に考えることをやめてしまうのか?
人が怖いと思うのは、よくわからないから怖いと思うのであって、ちゃんと理解すれば、怖いという感情はなくなるのだと私は思っている。
さて。
半月ほど前に、「死」について考えさせられた出来事があったわけだが、自分に死ぬ準備ができていなかったということに気づいた私は、こう考えたのであります。
てか、今死んだらヤバいな。
ネコたちどうする?
家族にはいつ連絡が行く?
いろんなアカウントあるな・・・。
ケータイの解約とかアパートとかどうする?
まあ、ちょっと考えただけでも、どうすればいいんだろうっていう問題が結構浮上ww
ひとり暮らしだと、私が死んだら最初に気づくのは、無断欠勤になるから会社の人だわ。
そんなの困るww
とかいろいろ考えて、じゃあどうしたらいいかなって思ったときに、
あ、これ終活だ
って思ったww(単純)
だから、
「終活することにした~」
って、先日忘年会をした友達に話したら、「え?もう?っていうか、終活ってなんか悲しくない?」って言われた。
世の中の一般的な印象はそうなのかもしれない。
終活って、「死ぬ準備」だと思われてるらしいw
終活って、悲しくない。
むしろ、死ぬまでの時間をどんなふうに素晴らしく生きようか!という前向きでとっても楽しい準備なんだけど。
人間って、なんかよくわかんないけど、自分の時間が無限にあるような錯覚に陥る。
若ければ若いほど。
私だって、乳がんになるまでは、自分が死ぬかもしれないなんて、考えもしなかった。(いずれは死ぬだろうけど、それは今じゃない、と思っていた。)
でも、いざ、がんという病気になってみて、目の前に「死」の可能性を見たときに、自分の時間が有限であることを知る。
それでも、やっぱり、のど元過ぎればで、治療が終わってまた日常が戻ってくると、また自分の時間は無限に戻っていくのだ。
(そんで、検査のたびに思い出して、また忘れて、検査の間になんか痛いってなって、また思い出すんだ ←なんか書いてて自分が愚か者に見えてきたww)
今回、終活をしようと思って、色々調べてみた。
40代での終活は、決して早くはない。
30代で終活を始める人もいるらしい。
元気な時に、終活を始めておくと、それだけ残りの人生をよりよく生きられるらしい。
終活というのは、死ぬ準備ではなく、今をよりよく生きるために自分を見つめなおすことである。
要は自分の人生の棚卸しをして、好きなこと嫌いなこと、やりたいことやりたくないこと、大切な人との時間のことをたくさん考えて、限りある残りの人生をより良いものにしていきましょうね、そして、死後の色々な手続きなんかの準備も今の元気なうちにやっておきましょうね、っていうコンセプトのようだ。
なにそれ。
めっちゃ楽しそうじゃんww
というわけで、2022年は例年通りお仕事をガッツリやりつつ、終活を少しずつ進めていくことに決めた。
ペット持ちのおひとりさまが、最大限楽しく生きて、立つ鳥跡を濁さずに死ねるのか?めっちゃ興味ある。(自分がw)
早速、いくつかすでに試してみたことがあるんだけど、それはおいおいシェアしてくことにしよう。
さ、明日は何をしようかな。
来年の今頃は、自分の生に対して今よりももう少ししっかり向き合えるようになっているといいな。