何もしたくない日がある。

 

いや、正直何もしたくない日がほとんどなんだけどw

 

そういうのじゃなくて、「本当に何もしたくない日」というのがある。

 

日々生きていると、「やりたいこと」よりも「やらなければいけない(と思い込んでいる)こと」を優先してしまいがちである。

 

やらなければいけないことを、必死にやっていると、そのうちだんだんやりたいことが分からなくなってしまう。

 

やらなければいけないことを終わらせる達成感がある一方で、何か物足りなさを感じるのだ。

 

何か違う、と。

 

せっかくの週末や休日、忙しいときは「やりたいことがたくさんあるのに、時間がない」と思っていても、いざ時間ができると、やる気が起こらない。

 

こういう気持ちになることは、誰にでもあると思う。

 

そして、そうこうしているうちに、

 

あ、あれもやっておかなきゃいけないんだった・・・

 

と、また「やらなければいけないこと」を思いつくのだ。

 

元気があるうちは、それもこなせる。

 

が、そんな日が続いて、心の余裕がなくなってくると、突然、心から「本当に何もしたくない」と感じる日が突然やってくる。

 

そんな日は、「何もしない」ことをする日にしてはどうかと思う。

 

朝から、大好きなお酒を飲んだっていいし、一日中部屋着でゴロゴロだらだたしていたっていい。

 

飽きるまでゲームをしたり、マンガを読みふけるのもいい。

 

ただただぼんやりと、外を眺めるのもいい。

 

掃除もしない、ご飯もつくらない(コンビニで買ったり、インスタントで済ませたり)、外にも出ない、誰ともかかわらない。

 

徹底的に、やりたくないことはやらない日を作るのだ。

 

ただ、自分を甘やかす。

 

怠惰(だと自分が思い込んでいるが、別に誰にも迷惑かけてないし、こういうのは怠惰ではない)な1日を過ごすのである。

 

やらなければいけないことを心に抱えながら、何もしない1日を過ごすのは、精神衛生上よろしくない。

 

しかし、やらなければいけないことを認識したうえで、あえて「今日は何もしない」と決めた怠惰な1日を過ごすのは、なんとも贅沢な時間の使い方ではないか。

 

いますぐ、やらなければいけないことなんて、そうそうない。

 

私でなければいけないことなんて、よほどのことでなければ、ない。

 

何もしたくない日は、心が疲れていることが多い。

 

ならば、心の赴くままに、「何もしない」をしようじゃないか。

 

「何もしない」ことをし尽くしたなら、心は必ず元気になってくれる。

 

そのうち「やりたい」ことも、また見えてくる。

 

自分の時間の使い方は、自分が自由に決めていい。

 

常識とか、しがらみとか、遠慮とか、他人が決めたことを自分の基準にする必要はない。

 

私の人生は、私だけがコントロールできるし、してもいい。

 

思い込みの罠から、解き放たれるべきなのだ。

 

だって、私の人生は、私のものなのだから。

 

 

早速ワインを開けてみる(すでに飲んでいるので、若干減っているww)