日本における宗教観
現代の日本人は宗教というものが嫌いです。
政治と宗教の話をすると嫌われるとはよく言いますが
こうした考え方は他人に「偏った考え方をした人間だ」と
思われたくない心から来ているのかもしれません。
「普通な人だと思われたい」という考えは自分を無色透明に見せたがるものなのでしょう。
政治の話を嫌うのは勧誘の電話などで
多くの人が嫌な経験をしたことがあるからでしょう。
選挙前になると訪ねてくる知人などに悩まされる人もいると思います。
そうした背景から政治の話を嫌がり
自分の国の政治に関心も持たない人が増え
熱心に政治活動をする人たちを馬鹿にしていたりします。
ですが熱心に政治活動をした人たちの意見ばかりが実際には法案として通ります。
政治家は票とお金が確保出来れば言うことを聞くからです。
ですから医師会や経団連、労働組合、日教組などの団体をつくり
多くの賛同者を増やした人たちは政治家に自分の意見を通すことができるわけです。
話が逸れましたが宗教も同じで敬遠(けいえん)されがちな話題です。
これも似たような理由から嫌われているものだと思います。
家に訪ねてきて話を聞かされたり、熱心に勧誘されたり。
そうした宗教はほとんどがカルト宗教と呼ばれるもので歴史が浅かったり
人を騙してお金を集めたりといったものが多いのが現状です。
ですがすべての宗教がそうした性質を持っているわけではありません。
たとえばキリスト教の原点であるユダヤ教。
ユダヤ教は勧誘というものをいっさいしません。
そしてユダヤ教に入りたいといっても何年もの教えを受けて試験に合格した人しか入れません。
宗教がおかしいものばかりだったら
もっと早く排斥の動きがあったことでしょう。
多くの人がその考え方に同調し、精神的な支えとして信仰したからこそ
世界中に広がったと考えられます。
「宗教」という言葉だけを毛嫌いしてしまうのではなく
少しでも本質を触れてから物を言うようにしたいものです。
最後に『二宮翁夜話』という本に書かれている一節をご紹介します。
「世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある。
神道、仏教、あるいは仏教でも天台宗、浄土宗、 真言宗などいろいろあるが、
これらは何れも、いくつもある真理への入り口に付いている小道の名前に過ぎない。
例えば富士山に登るのに、吉田から、須走りから、須山から、
それぞれ登れるが、最終的に頂上に至れば同じ所である。
これを、違う目的に到達できる別々の道がある、と考えるのは誤りである。
入り口が幾 つもあっても、最終的に到達する場所は、一つである。それは、誠である。
ところが世の中では、これらを別々な道であると言い、真理が幾つもあるように言っ ている。」
二宮尊徳(金次郎)は小学校の銅像などによく使われているのでご存知の人も多いと思います。
本を読みながら薪を担いでいる少年の像ですね。
彼の教えも真理への入口の一つなのかもしれませんね。
政治と宗教の話をすると嫌われるとはよく言いますが
こうした考え方は他人に「偏った考え方をした人間だ」と
思われたくない心から来ているのかもしれません。
「普通な人だと思われたい」という考えは自分を無色透明に見せたがるものなのでしょう。
政治の話を嫌うのは勧誘の電話などで
多くの人が嫌な経験をしたことがあるからでしょう。
選挙前になると訪ねてくる知人などに悩まされる人もいると思います。
そうした背景から政治の話を嫌がり
自分の国の政治に関心も持たない人が増え
熱心に政治活動をする人たちを馬鹿にしていたりします。
ですが熱心に政治活動をした人たちの意見ばかりが実際には法案として通ります。
政治家は票とお金が確保出来れば言うことを聞くからです。
ですから医師会や経団連、労働組合、日教組などの団体をつくり
多くの賛同者を増やした人たちは政治家に自分の意見を通すことができるわけです。
話が逸れましたが宗教も同じで敬遠(けいえん)されがちな話題です。
これも似たような理由から嫌われているものだと思います。
家に訪ねてきて話を聞かされたり、熱心に勧誘されたり。
そうした宗教はほとんどがカルト宗教と呼ばれるもので歴史が浅かったり
人を騙してお金を集めたりといったものが多いのが現状です。
ですがすべての宗教がそうした性質を持っているわけではありません。
たとえばキリスト教の原点であるユダヤ教。
ユダヤ教は勧誘というものをいっさいしません。
そしてユダヤ教に入りたいといっても何年もの教えを受けて試験に合格した人しか入れません。
宗教がおかしいものばかりだったら
もっと早く排斥の動きがあったことでしょう。
多くの人がその考え方に同調し、精神的な支えとして信仰したからこそ
世界中に広がったと考えられます。
「宗教」という言葉だけを毛嫌いしてしまうのではなく
少しでも本質を触れてから物を言うようにしたいものです。
最後に『二宮翁夜話』という本に書かれている一節をご紹介します。
「世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある。
神道、仏教、あるいは仏教でも天台宗、浄土宗、 真言宗などいろいろあるが、
これらは何れも、いくつもある真理への入り口に付いている小道の名前に過ぎない。
例えば富士山に登るのに、吉田から、須走りから、須山から、
それぞれ登れるが、最終的に頂上に至れば同じ所である。
これを、違う目的に到達できる別々の道がある、と考えるのは誤りである。
入り口が幾 つもあっても、最終的に到達する場所は、一つである。それは、誠である。
ところが世の中では、これらを別々な道であると言い、真理が幾つもあるように言っ ている。」
二宮尊徳(金次郎)は小学校の銅像などによく使われているのでご存知の人も多いと思います。
本を読みながら薪を担いでいる少年の像ですね。
彼の教えも真理への入口の一つなのかもしれませんね。