月末につき北海道神宮へ。
ポツポツ雨で、傘に当たる雨粒の音が
可愛らしい、嬉しい。
雨の音をきいてると
トトロになった気分でニンマリしながら
無事に今月のお礼を述べてまいりやした!
今月もマジでたくさんのミラクル
ありがとうございました。
あと来月の抱負?も。
観光客ですごかったー!
神社に行った後は、しばらく
境内を散歩。
グリーンが濃ゆくて湿度の高さとあいまって
むわっとした空気が胸に入ってくると
土の匂いや、いろんな鳥の鳴き声、風の音、水の音
いろんな感覚が拡大して感じられるのがよかった。
境内の梅の木の実が熟れていて
オレンジから緑のグラデーションにきゅん♡
境内の梅は取っちゃダメの看板いっぱいあったwe
締めは六花亭の判官様ですな♡
今日の神社では
神様は「そうだね」しか言わない。
っていうフレーズがずーっと流れてて。
(そんなに?ってほど脳内連呼www)
何を言っても
「そうだね」って言ってくれるのは
究極の自由だな。
と思った。
「私はこれできないんです」
「そうだね」
「私はこれやります!」
「そうだね」
「私は惨めなんです」
「そうだね」
「私は幸せです」
「そうだね」
「これをやったらいいですか?」
「そうだね」
「これはやらない方がいいですか?」
「そうだね」
くせものなのは
自分がどんな意図で聞いてるのか?
自分でわかんなくちゃならないところ。
「私は変われますか?」
(変われると思えません)
↑
ここは自分しかわかんないよね。
「そうだね」
私が思ったこと
思いの前提がそのまま
「そうだね」って言われるの
とても自由だし好きだ。
何を体験してもいいよと
許されている。
不幸でもいいし
幸せでもいい
惨めでもいいし
誇らしくてもいい
それがそのまま尊重される。
何を思ってもそのまま
「そうだね」
何を思っても自由ってことは
今、状況が〇〇だからこう思うのが当たり前。
という、状況に思うことを決めさせるのを
一度見直して
今、状況は〇〇だから、こう思うことにしよう。
と、どんな状況でも「自分が願っている方に」
思うことができるってことだ。
私たちは本当にみんな自由だ。
この自由を使っていこうと思う。



