久しぶりに、バイリンガル半生を振り返るシリーズを、書きます。

前回は、バイリンガル半生を振り返る6高校の学習について書きました。
今回は学校の社会生活についてです。

アメリカの高校にはクラスルームや担任というものは存在せず、それぞれがレベルにあったクラスの単位を科目ごとに取得します。つまり、同じ授業を受ける生徒の学年はばらばらです。

日本のように、『所属』みたいなものが、ありません。
もちろん、部活に入る事もできますが、それもあくまで任意です。

クラスという『所属』があるのは、かなりの安心感になると思います。

それがなく、いきなり『個』の世界。

しかも、この『個』のバリエーションが半端ない幅広さ。

同じクラスには、
海賊に襲われボートで命からがらアメリカにたどり着いたベトナム難民の女の子、

トイレで大麻を売っていて、それを筆箱に隠して持ち歩いてる男の子、

金髪ポニーテールでミニスカートの白人チアリーダー女子、

メガネをかけて勉強は学年トップの中国人の女の子、

パンクファッションで、顔にピアスをしてるいつも革の黒ずくめの男の子。。

まさに、動物園のようなアメリカの公立高校。


そんな中、
アジア人で大人しくて英語のハンディキャップのある黄色人種の女子、それが、わたし。

学校で目立つ存在でもなく、
特に人気者でもなく。。

人気者は必ず白人の女の子と男の子でした。

生徒会をしきるのも、ダンスパーティーの人気投票で優勝するのも、
いつも、
チアリーダーの白人女子と、
アメフト部の白人男子と決まってます。

80年代のカリフォルニア。

白人至上主義、
WASP至上主義、

を感じる時代でした。

同様のことは、日本では、あまり感じることはないかと思います。

なぜなら、日本に来る外国の方は親日家も多いですし、
例えば英語の先生としてお付き合いされる場合は、私達はお客さまとして扱われる訳ですから。

むしろ白人至上主義が、日本人の過剰憧れや崇拝に見られることは多いですが。。

本当に利害関係があり、対等な立場でお付き合いする関係って、もっと厳しいものがあります。

そんな時にWASP至上主義を体験することもあるわけです。

トランプ氏を見ていると、
またWASP至上主義の再来か?と思ってしまいます。

アメリカ国旗を見ながら、liberty and justice for allと誓ってるのは嘘なんでしょうか?

アメリカの高校生活、
やはり差別されることとは、無縁ではいられませんでした。
そこを、どのように生き抜いて、自分を認めてもらえるか、自分を確立できるかのサバイバルでした。

孤独であること、所属がないこと。
黄色い肌の女として、理不尽に蔑まれること。
Remember Pearl Harborと叫ばれたり。


思春期になかなかヘビーな生活を体験できました(笑)

そんななかでも、ちょっと変わり者の面白い友達とか、たくさん出来ました。(チアリーダーやアメフト男子ではありません)

自由な国アメリカの空気のなか、
バカなことも、ゲラゲラ体験も沢山ありました。

そして、ドラッグは、高校生ならほぼ全員がやったことある中で、手は出しませんでした(ここは、根がまじめ)


色んなヤツがこの世にはいるということを体感できたこと、

それぞれ違っていて当たり前を受け入れる、

色の違いで扱いが変わる。

そんな経験のおかげで、比較的精神の強い人(ふてぶてしい?)になる事ができたのかもしれません。

あの頃から、30年近く経ち、2016の今。
アメリカのアジア人差別に対するメッセージビデオが公開されました。こちら

時代が変わっていることを祈ります。



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