2年の夏休み東北の旅をした。(1957年8月)
計画はそれぞれれがバイトをしてお金を貯めるところからスタートした。私は昼は電話局で主に配線工事質の掃除、2週間。夜は家庭教師。
行く先は十和田湖。帰りは裏日本を通ってどこかで一泊。
その話を私はたまたま会いに行った実父の母親、私を育ててくれた祖母にした。
祖母は十和田に近い花輪の出身だし実家は旅館。そこで泊ればあなたはただだって、そうはいかない。大学生6人3食付きで半額にしてもらえるように祖母はすぐ交渉してくれた。(実際はもっと安かった)
帰りは群馬の猿ヶ京温泉に行けば私が祖母のもとにいた時かわいがってくれた大学生の「しゅうじさん」といういとこにあたる人が婿入りして旅館の主だからと問い合わせ半額で(これもきっともっと安かった)泊めてもらえることになった。友達は大喜び。すべて鈍行の旅だ。
夜行で仙台まで、早朝松島について海辺でもって行ったおにぎり食べた。それからまた仙台へ戻り列車に。
ところが東北地方前夜豪雨で列車は田舎の駅で復旧まで4時間待ち。駅弁を買う予定がくるって駅で聞いたら炊き出しのご飯の残りに味噌漬け6切れ竹の皮に載せてくれた。駅前の農家で何か買えるところないか聞いたらサバ味噌煮缶をあけて一つくれた、みんななんと優しい。それがお昼。
リレー小説書いたり都都逸作ったり、大きな声で騒いでいたわけではないがそれが面白いと傍の席から飴玉や煎餅の差し入れもきた。
それでも着いたのは7時前おなかはペコペコだった。おりしもねぶた祭りの日、名物の大太鼓が出ているから食事用意する間見て来いと言われて行く。畳2枚近くあるヒグマの皮を張った大太鼓の音はすきっ腹にどんと響いた。
半額の客は二の膳と、おひつごとお替り付き。男どもは4膳は食べていたなあ。
翌日の昼は二駅ほど先の湯瀬温泉ここも親戚でお昼のかつ丼を用意しておいてくれた上、温泉にゆっくり浸かってきた。
祖母の実家は大正天皇の泊まられた部屋などもあり、なかなか由緒正しいところ。大叔父さんのズーズー弁のお話結構楽しかった。
翌日はお弁当もたせてもらって、十和田湖を対岸まで渡り酢が湯などをバスで抜けて青森へ。
琅玕(ろうかん)の珠(たま)を溶かしていまだ足らずなに秘めたるやこの湖のいろ』と九条武子(教育者にして歌人、大正三美人)が詠んだ美しさ..
交代で普通列車の列に並ぶこと4時間余り、鈍行列車に何とか席確保。目が覚めたら裏日本の荒波たつ海岸だった。

