実父がなくなって母が若いので再婚するようにと実家に帰され子供のいなかった伯父のための保険として私は祖母に育てられました
まったく飾らない白髪頭を後ろでお団子にしただけの祖母は、私が生まれた時からからおばあちゃんでしたが考えてみればまだ還暦前だったかもしれません。
母が実家の別荘がある大磯に行っていたので夏は祖母と数日滞在したりしました。そして鴫立沢に行った時、祖母はしみじみと
「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」西行法師という方が詠まれたのよ、他にね「『三夕の歌』というのがあって……」と唱えてくれるのです。
四、五歳の子供にわかるはずもありませんから私は膝に縋って聞いていただけです。
また動物の親子の童話を読んでくれた後で「源実朝という人の歌集にね、『物いはぬ四方のけだものすらだにも哀れなるかなや親の子をおもふ』というのがあるのよ」と続きます。いつまでも出身地の秋田県花輪の訛りが残っている祖母の話は眠りを誘うには最適でした。
行儀見習いを兼ねて女書生にやってきた祖母は祖父の経営していた女学校に通わせてもらって成績抜群、代用教員として祖父を助け気に入られて妻となった人でした。英才教育をしようなんて一つも思っていない、自分の頭の中に浮かんできた好きなことを話しているだけだったのでしょう。でも何度か同じことを話されていたので今も記憶の片隅に残っています。考えてみるとスゴイおばあちゃんでした。
写真が一枚も残っていないのが残念です。
私が孫に話したことはどれだけ孫は覚えていてくっるでしょうか。新しい情報が大波になってあふれてくる社会の中で幼い二人を母親が塾から帰る前に寝かせるための絵本を読んだり民話を話してやったりはしましたが何か一つでも記憶にい残っているものがあるでしょうか。
はなはだ心もとない気がしています。

