コロナの前、急に決まったような同級会。スマホだのfaccebookだのを駆使して集まった面々。でもこの機を逃したら、後3年は何もできなかった。いいタイミングだったかもしれない。
子供の手も離れた40代後半に入ったころかな。
彼らの5,6年前からだろうか荒れる中学校が話題になったのは。どこにだって困ったちゃんはいた。でも、いったん担任にでもなろうものなら、それはもう自分の子供だもの、嫌がられてお説教もするし、強く叱りもするけれど、やっぱり不思議にかわいいのだ。その子の背負っている荷物も多少はわかっている。
そんな卒業生が「先生迷惑かけたね。」なんて言いながらビールもってつぎに来る…実際に飲んでいるのはウーロン茶だけどね。夜遅くなって帰れないから宇都宮にホテルとったら遠足の帰りみたいにホテルのフロントまでゾロゾロついてきたりして。
15歳、体の成長は昔をこえた。社会的義務の遂行を猶予される期間は18歳に縮小されたって、まだほとんど猶予期間にとどまろうとしているモラトリアムのなかにいる。そんな彼らが卒業するとき私は言った「20歳を過ぎてお酒もたばこもOKになったら同級会によんでね。その前に目の前でされたら、やっぱり叱らなきゃならないからね。」って。
70近くなった卒業生に聞いたことがある。すごく頭のいい子だった。親は地元の市会議員。大農だ。「農家の長男だから地元の農業学校へ行け。」という。親の命令に彼は1週間何も言わなくなった。私は決めた、校長に「私は生徒に進学校を勧めたいと思います。ご迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします。」家庭訪問して交渉した。「彼は大学を出たいといっています。」父親の出した条件は大学を出たら地元に戻るというものだった。彼はそれでいいといった。彼の懇談会父親はわたしに行けという、「あんたがあそこに行けといったのだから。」
東大に入れるといわれたがあいにく東大紛争の年、東大を受けられず、浪人はさせないという方針で彼は早稲田を出て地元に戻り、農業を継ぎつつその市で経営しているセンターに勤め、その所長となり、地区の商工会議所長となった。それももう退いた頃彼に聞いた。「あんな約束であなたを大学に送り出したけれど、あれでよかったかしら?」ずっと怖くて聞けなかった。「家は今でこそ農業を縮小して、土地を県や市に払い下げたりしていますが、こういう事業は大学で学んだ知識が役に立っています。先生には感謝しています。」50年ずっと聞けなかった答えだった。
彼の息子たちは二人とも東大を出て都会で働いている。退職したら帰ってくるかもしれないと彼は笑っていた。心が痛んだが彼の父親はとうになくなっていた。
15歳の旅立ちに幸あれ
