3月10日、東京大空襲。

 3月11日 東日本大震災。

 忘れられない日です、そして忘れてはいけない日です。

 

 大空襲は鶴見川を挟んだ対岸からずっとみていました。「寝なさい」といわれたって眠れませんでした。大きな防空壕の入り口から見上げる空には青やピンクの尾を引いて焼夷弾が飛び交いました。下は一面火の海となっていました。子供の私にはその下で逃げ惑う人々まで想像できませんでした。

        

 そしてこの後3月26日以後の沖縄戦以後,米機は警戒警報のすぐ後で空襲警報となり大きな壕へ行く暇さえなくなりました。機銃掃射が来るようになって私たちは、家の中の窓から見えないところで息をひそめ、高い鼻のパイロットの横顔に怯えたりしました。壁にはジグザグに銃弾の跡が残されるようになって私たちは横浜を離れるしかありませんでした。

         

 

    っつくしんぼ

          (軍需工場の町から)

 爆弾の破片で

 犬の内臓が二つに切断されるのを見た日

 戦争は確かに子供たちの目の前にあった

 つくしんぼの上に飛び散った腹わたを見まいと

 トロッコの車台の下にうずくまって  

 飛び去るB29をみんなでかぞえていた

 

 

 11年前、地震で揺れることの少ないこの土地では珍しく震度3くらいだったでしょうか。それでも、宇都宮では結構慣れっこになっていた私はプールに行こうとしている二人の幼稚園生につかまられて慌ててリビングのドアで体を支えてました。

 それよりもそのあとで流される津波の画面はそれはこの世の地獄でした。

        

 真っ赤な炎が神戸を焼き尽くすのを見た時、、

 9.11で飛行機がビルに突っ込むのを見た時、

 ああ生きていると幾度こんなこの世の地獄を見なければならないのだろうと思いました。でもあの真っ黒な海がそのまま家を飲みこんで迫ってくる姿はもっと怖かった。そして原子炉は今も大きな問題を残したままです。

 それなのに世界の何処かで無益な戦いが続けられ、戦火に命を失う人がいるのです。

 

 命をあがなうことはできません。約束された1年半の命の重さを私はまだしっかり測っていません。無駄に過ぎてゆく日々があります。それでも生きているという事はありがたいことです。それは自分だけの命ではありません。すべての人々の命の大切さがわかってきたような気がします。

 

 WBCで盛り上がっています。平和です。まだ終わってはいませんが日本の勝ちに沸いています。

 

 でも忘れてはいけない…ではなく忘れられないこの日、命の重みをもう一度考えてみたいです。