テレビでかまくらの画面を見てふっと思い出した。あえてブログに載せるのをためらったファンタジーだけどファンタジーとして読んでいただけると嬉しい。

 

       

それは想像することの好きだった私の頭の名中で出来上がっていった世界だといわれればそれまでだけど、でも私は2度とも確かに見た幻であるような気がする。そしてそれは次回に載せる部分で自分を納得させるための伏線だった気もする。

       

          

 

 昭和二十年二月二日、前日からの大雪だった。小学校の一年生だった和香子の肩のあたりまで、雪は降り積もっていた。

 第二次世界大戦も末期症状で、東京周辺は連日連夜の空襲。この神奈川の軍需工場の町も例外ではなかった。だから、学校は行けばすぐ逃げ帰るか、裏山の防空壕へ退避という毎日だったので、その日学校へ行ったのか、行かなかったのかさえ、覚えていない。たゞ珍しく敵の飛行機が来たことを告げるけたたましいサイレンの音を聞かない日だつた。それは、上空の状態が悪かったためだろうか、それとも、雪の反射がまぶしかったためだろうか。もしそんなことがあるとすれば、午後にわずかの明るい日射しを覚えているから、後者だったかもしれない。

 とにかく、近所の社宅の子供たちが集まって、そう大きくはない,かまくら″を作りあげたのだった。そして、それしかないおやつのかんそういもなどを持ちこんで束の間の平和を楽しんだ。母親たちの手製の人形が、ひな人形代りに飾られてあったような気もする。それらの情景は、まるで霧のむこうをすかしてみたように、ぼんやりと、日の前に浮かんでくる。

 日暮れ時になると、外気はひんやりと凍り始め、かまくらは見捨てられて軍需工場の社宅群の中にポツンと残った。なぜ、薄暗がりの中。かまくらなどのぞいてみる気になったのだろう。それは覚えていない。 いつものように、仲よしの礼子ちゃんとままごとやお手玉をしたあと、空地をはさんだ反対側の彼女の家へ送っていった帰りだったのかもしれない。薄墨色の中で、かまくらはほの自く、ひっそりとたってぃた。 そして、その白い壁のむこうがわずかに紅色の灯をともしているように見えたのだった。

 怖さよりも、好奇心に誘われて反対側に回り、黒い入口をのぞきこむと、そこは、ほんのり明るくて、その中に少年がひとりいた。戦時中の薄よごれて光った改造ズボンや、編みなおして弾力を失った毛糸のセーターを見慣れている目には異様な雪の結晶模様編み入りのセータに、灰色のズボンをはき、当時はどの子も坊主頭なのに、その子は、巻き毛を長くしていた。古い本のページで読んだことのある外国の「小公子」のセドリックのようだ――と和香子は思った。それは、ほんの一瞬のことで、びっくりした和香子が首を引っ込めて、恐る恐るもう一度覗いてみつと、もう少年はいなくて、冷めたい白一い壁があるだけだった。幻ということばは知らなかったけれど、夢の世界のようなそのできごとを、誰にも話しはしなかった。

 家にとんで帰ってこたつにもぐりこんで……かまくらが溶ける頃には、そんなものを見たことさえ忘れてしまっていた。

 昭和二十五年二月――、日付けは覚えていない。雪で電車のダイヤが乱れ、学校に遅刻した。郊外のミッションスクールは違距離通学者が多く、ほとんど全員が遅刻だった。そのため、全員が登校しおえる頃には、学校は子どもたちを下校させた。学校が案じたとおり、帰りの電車も遅れがひどかった。午前中かかって登校し、午後は下校に終わったような一日だった。

 彼女が駅を降りて家路に就く頃は、早い夕暮れが道のわきにかきあげられた背丈ほどの残雪を浮きあがらせ、あとは深い灰色だった。人通の多い駅前通りから、奥まった路地にぬけると、道には、昼間少し降り残った雪が重なって、長靴がザクザクと沈んだ。その音を楽しみながら、やヽ粗くなった雪の粒をながめて歩いているうちに、和香子は、ふと立ち止まった。足音が二重奏になっていた。立ち止まると、むこうも止まる。歩きだすと、むこうも歩きだす。雪の寒さではない寒さが背筋を通りぬけた。十歩、また十歩、沈黙の追いかけっこに耐えきれず、思いきって振り向いた和香子は思わず笑いだした。

 七つ八つの少年が立っていた。思わず「かわいい」と口にだしたくなるような大きな瞳をクルクルさせて、自いフードのついたコート、灰色のズボン、まっ白いフードからやわらかな巻き毛がはみだしている。

 気のぬけたようになって和香子は、しばらく立ち止まったまま少年を見ていたが、そんな自分にてれくさくなって、ニコッと笑いかけておくと、スタスタと歩きだした。次の角を曲がれば我が家である。

 その時になって気づくと、足音は消えていた。どこかで家に入ったのかもしれない。 ついぞ会ったことのない少年だったけれど。そう思うと彼女はもう少年のことは忘れてしまった。