朝はあんなに冷え込んだのに、日差しは結構暖かだった。

 近所の集合住宅の周りを歩いたら小学生が「コンニチワって声かけてくれた。

 

     

 昭和32年12月24日前後、3日間上野の衣料品店のバーゲン売り場にいた。「御客様。こちらでお支払いお願いします。」って思わず大声で言ったら警備員がすっと近づいてきた。彼女の持っていた袋からは近くの松坂屋デパートからと、ここのお店からの品物が続々現れた。

 「あんたどこから来たの?」呼ばれて駆け付けた警官の問いに、訛りの強い言葉で彼女は「福島」って答えた警官は「俺も福島出身よ。福島には悪い人いないんだよ。」って言った。なんか東北訛りのあったかい会話に女の人は泣いていた。お店ではここの分は不問に付し、私は少しだけ割増の日当をもらった。大入り袋も出て夕食はかつ丼が賄いで出た。うれしかった。

       

 昭和33年12月私は銀座のローマイヤーでアルバイトしていた。あの頃ターキーの丸焼きはセロファンで包み、両脇をひもで縛ってリボンをかけた。もう一人のアルバイトさんは外国人のお客さんが来ると遁走し、日本人の女優さんなどが来るといそいそと出てきた。

 私は英語で話しかけられるのに必死で答えながらつるつる滑るターキーと格闘し泣きたくなっていたっけ。

 まだ日本では家庭でクリスマスを楽しむよりお父さんたちが外で飲み、お土産のケーキぶら下げて遅い電車で帰っていくことが多かった時代だった。

 私たちは昼と夜においしいソーセージのしっぽなどが入ったシチューが賄いで出るのがうれしかった。

      

 普段休みの時以外はアルバイトは家庭教師が多かったがクリスマス近辺とお正月はお休み、そんなときは学徒援護会から様々なアルバイトに行った。それはそれでいい経験だった気がする。