インフルエンザのワクチン打ちました。それから小さなモールのフード・コートでお饂飩すすって英会話に行きました。
手帳などで愛用しています。
私がどんなに生徒たちから育てられてきたか。それもわかっていただけると嬉しいです。
入学式が終わったあとで、 僕たちは白いスーツを着たやせっぽちの先生について一年C組の教室に入り、神妙な顔で出席番号順に席についた。
「タアチャン、こっち、ここにすわんな。」場ちがいな女の子の大声にみんなの視線が集まると、そこでは丸々と太った男の子が、女の子に手を引っぱられていく場面が展開していた。でも、その混乱もみんなが緊張しているせいかさほど広がらずに、教室は静寂をとりもどした。
先生は、ちょっと気どって教卓の向こうに立つと、静かに、真剣な調子でこんなことを話された。
「地球上には何十億という人々がいます。私たちが一生に出会うのは、そのほんの一部の人たちです。そして、あなたたちと私は、こうして出会い、一年間を一つの学級の中で暮らしていくことになりました。 私は、この出会いを大切にしたいと思います。」
ほかにも先生はいろいろと話されたが一僕が覚えているのは「出会い」ということばのもつ不思議な響きだった。
翌日からの三日間は、オリエンテーンョンだった。僕らは、中学生としての心構えをたたきこまれ、細々としたルールを教わり、分厚い教科書を受けとった。
僕らは、中央小組で六クラスある小学校から来たから、圧倒的に知り合いが多い。他の二つの小学校から来た友だちは、三、四人ずつポツンと固まっている。 それでも自己紹介がすむと、今までとはちがつた友だちができてきて、教室は活気がでてきた。
その自己紹介は、二日め、入学式の翌日に行われた。そして、あのふとった男の子の順番になった時のことを、僕は書かなくてはならない。
「次の人」先生が声をかけても、その子はなかなが立たなかった。第二小組の何人かが「タアちゃん立てよ。」「前に行くんだよ。」と一生懸命に言いきかせている。するとその子は、 心細げな足どりで前に出ては来た
けれど、だらりと手をさげたままポカンと立っていた。僕たちの大部分は、これまたポカンとそれを見守っていた。
先生が「お名まえを言って」
と声をかけた。なんだか小学校一年生を相手にしたような物の言い方だったが、その声に救われたような気がしたのか、その子は小さな声で「林孝之」と答えた。
「よく言えたわね、席にかえっていいですよ。」ニコニコし
て声をかける先生も変テコに見えたが、ふとった大きなからだで、よたよたと席にもどるその子の様子は、正直いって僕らには気味が悪かった。
そして、この時から否応なくタアチャンこと林孝之君は、僕らの関心の的になった。
三日め、僕らのメインエベント、学級の組織の中心・委員長の選出が行われた。僕はい中央小の大軍を後ろ盾に、委員長に選ばれた。少々公平じゃないかもしれないが、選ばれたことはうれしい。
「僕の力の及ぶ限り、責任をもってやりたい。」と皆の前であいさつしたときは、照れくさかつたが、気分もよかった。
午後の身体検査の頃は、あいにく日が陰って寒い日となった。広い被服室で、 パンツ一丁のはだかはつらい。 そのうえここで、 僕らはひとつ大変なことを知った。僕たちがぬがせてやらなければ、 タァチャンはぼんやりと立っているだけなのだ。男どもは、よってたかってタアチヤンをひんむいて、 どうやら計測は無事終了。記録係の僕も最後に計って、
ふと気がついたら、またあわてた。タアチャンはまだはだかで立っているのだ。隣の教室の視力検査に移つたクラスの友だちを呼んできて、どうやら着せ終わる頃は、次のクラスの人でごったがえした被服室の中で、僕らはすっかりのぼせて暖かくなっていた。
だけど目の検査も、聴力の検査も、色神検査の文字をなぞることさえも、 いくら教えてもタアチャンにはできなかった。
この頃になると、タアチャンがどんな子かみんなにもわかってきた。
すると、早速いたずらをする者がでてきた。からかいに体にさわったり「すわれ」とか「ねろ」とか犬のように命令をして、そのとおりやると喜んでいる者がいる。大声で驚かす者もいる。僕も委員長である自覚を忘れて、時々そのいたずらに加わったりした。
大きなからだで、弁当の飯粒をボロボロとこぼしたり、ズボンのジッパーをひらいたままにしておいたりするものだから、女の子はタアチャンをいやがった。グループで向きあって食事をする時など、女の人はできるだけタアチャンから遠ざかろうとして、モジモジした。
四月の終わりのある朝のことだった。 ガヤガヤとおしゃべりを楽しむ者、忘れた宿題を必死になって写す者、お定まりの情景の中にひとりの
小太りの女の人が入っできた。その人は突然大きな声でしゃべり始めた。
「タアチャンをいじめるのは誰?田中君てどの子、いじめたっていったよ。今度いじめたら、おばさんが先生にいうからね。」
教室中は一瞬シーンと静まりかえった,タアチャンのおかあさんはその中をつかつかと入って来た時と同じような足どりで去っていった。僕らはみんな、おかあさんのすごい剣幕にぼんやりしたままだった。僕は「タアチャンも家に行けば田中君なんかの名まえを言うんだな。」なんてことをぼんやりと考えていた。
このできごとは、いちはやく、副委員長の藤田さんによって先生に報告された。朝の学級の時間に先生は、こんなふうに話された。
「タアチャンは、確かにできないことが多いですね。 でも、それは、タアチャンが何もしようとしないからでしょうか。努力していないからでしようか。 ちがうでしょう?きっと彼だって、私たちと同じようにいろんなことしたいんじゃないかしら。好きで病気になる人はいないように、好きで何もできない人もいないでしょう?タアチャンだって、私たちと
同じ人間、私たちのクラスの仲間、もっと仲間として大切にしてあげましょう。たしかにこの学校では、タアチャンにもっといろいろ教えてあげられる学級も、先生もいない。それは残念なことだけど、今、タアチャンが通うにふさわしい学校は近くにないのだから、 ここへ来ていることで、少しでもタアチャンのプラスになるように考えてあげようではあ
りませんか。」
僕はこの時、委員長としての僕の今までの行為を恥じた。深く考えもせずに、タアチャンをからかったことが、とても恥ずかしかった。そこで、僕は相談し合って、まず手始めに「林孝之」って名まえを漢字で書くことを教えることにした。
タアチャンは、いちおうひらがなで名まえが書ける。でも、世間に出れば、自分の名はやはり漢字で書けなけれ
ば困るだろう、とまあ、これがみんなで考えたことだ。
習字の時間に、藤田さんは、新聞紙に大きく「林孝之」と書いてやり、たっぷり墨をつけた筆を持たせて、何度も何度もなぞらせた。長田や佐野は、ノートに何度も手本を書いてやったり、手を持って書かせてやったりした。
五月の半ばの暑い日、タアチャンは初めて僕らの見守る中で「林孝之」
と自分でノートに書いた。ゆっくりと大きく、ふるえる線で。
僕らは大喜びだ。タアチャンをひきずるようにして職員室に行くと、先生の前でもう一度タアチャンに名まえを書かせた。先生は、うれしそうにニコニコしてタアチャンの頭をなで、それから僕らに「ありがとう」といわれた。
気がつくと、先生の目がちょっぴりうるんでいた。






