皆さんはもう生まれていらっしゃたかしら?まだまだ貧しい学生の多かった時代、でも新早稲田派と呼ばれる前田武彦、永六輔などの個性的な人たちがキャンバスを闊歩していました。
いつも貧しくてアメリカの放出物資で安い服を買ってきて自分で手直しをしてきました。
継父が再びサポートしてくださる方がいてそれなりの仕事につけ、埼玉の団地に越し、なんとか交通費や食事代は自分で心配しないで済むようになったのは大学3年の後半だったと思います。それでも男女かかわりなく語り合い一間のアパート住まいに平気で夕食食べにくる友達と過ごせた日々は妙に懐かしくもあります。継父は別にいましたが、母と私だけ、しかも私は家庭教師で遅い、それなのに「今日ねS君が来て、油揚げとネギのお味噌汁にキャベツのバター炒めだけでごはん3杯も食べて行ったの。」って母に言われたりして、お米代渡したり、でも私も友の家に「来いよ」と言われれば何人かで押しかけ、ご家族と食事したり、帰りそこなって何度か私のアパートに泊まる奥多摩の彼女の家に、夏は押しかけて3泊くらいさせてもらったり、男も女も意識ない付き合い。当時の太陽族のような階層でない若者の持つ特権だったのでしょうか。