7時ごろのっ夕焼け。

      

 あしたは天気になるかな。

 1年前に私はブログの一部にこんなことを書いている。

 私は小中高ともカトリックのミッションスクール出身。学校は母が選び、関西転勤の間の高校1年半も神戸のミッションスクールに通った。私的には地元の男女校というタイプだと思っていたから、大学だけはそういうところを選んだ。

 だからといって母を含めて我が家はキリスト教信者という訳ではない。一般で公民にあたる授業は宗教だったが理解不能な「三位一体」などはテストでも教わったことはこうだがこの説明を納得しているとは言えないとしっかり答えるような生徒だった。もちろんそれで成績が下げられるという事はなかった。

 ただ身近に信者の友達もいたし、祈りの場面もあり、それを拒みはしなかった。むしろ学校の小さな聖堂は好きな場所だった。    

       

 具体的に何を信じ何に祈ってているというのでなく、人知を超えた解明できないものの存在を漠然と感じている自分がいる。

 だから私は詩の中でそうした神の存在に触れ、何かに祈りをささげているのかもしれない。

 

                夜

 

          ひとりでいたら

          いつか祈っていた

          指を組み 首をたれて

          屋根をたたく雨の音がやけに強くて

          窓の外の闇の濃さが

          私をみじめにしたから

          私は過ぎ去ったときに恋をしていた

          それでも

          強情な私は

          寂しいとはいわなかった

 

  ミサに出ても献金を要求されることもなかったし、学校とは別の行事とし聖フランシスコ・ザビエルの奇跡の右腕が来た大掛かりのミサにも参加した。参加する以上は一緒に意味の分からないラテン語の歌も歌った。だけれども小学校4年い編入して以来9年間カトリックの学校にいながら入信を求められたことはなかった。

 宗教の問題が取りざたされているが、今になって信仰の難しさを感じている。