若い人の死のことを書いたので、またあの時のことを思い出してしまった。

 つらい話なので読まないでくださってもいい。

 16歳になるとバイクの免許を取ってちょっと出かけるとき乗るのはあこがれだったのかもしれない。でも体一つで乗っていくバイクは危険が伴うのは確か。

 N・Y君が進んだばかりの高校に自分い合わないのではないかと悩んでいる「先生はなし聞いてやってくださいまか?」とお母さんから電話があった。日曜日に訪ねてくるように約束しようと彼が帰宅するころ電話したつもりだった。でも卒業アルバムの文字が小さいのでN・Hの家に電話してしまった。「失礼しました。間違えました。」と切ろうとしたら「先生でしょう?」とお母さんにわかってしまい話し出した。彼の家は郊外でスーパーまでちょっと距離があった。「バイクの免許取ってお使いにいってくれるんですよ。」と嬉しそうだった。

 わずか1週間後だった、彼が信号無視の軽トラにぶつかられて亡くなったのは。なぜあの時バイクのはなしなんか聞いたのだろう?虫の知らせだったのかしら。

 クラスの生徒が20人ほど、高校の生徒もそのくらい、若い者の集まった神道式の葬儀はシンプルだった高校生の弔辞もなかった。私は中学の委員長に弔辞を書いてくるように言えばよかったと後悔した。お墓までついて行き家まで戻ってお母さんはノートに図まで書いて事故の様子を説明してくださった。そうでもしなければいたたまれなかったのだろう。

 それからは卒業生には交通事故には気を付けてねといつも卒業のたびに伝えた。

 その6年後、学年末の職員旅行先にSから電話がかかってきた。「先生、M・Yが、ダルマが死んじゃったんだよ。」受話器の向こうでSは泣いていた。別の高校へ進んだのだけれど親交は続いていたようだった。通夜は次の夜だという。私はその夕方帰り着いて夕食もそこそこにMの家に弔問に行った。

 Mのお兄ちゃんも担任だったがあまり目立つところのないおとなしい生徒、その点ダルマの愛称で呼ばれていた彼はサッカー選手で明るくって人気者だった。

 お兄ちゃんの時未だ小さかった妹はそのあと難しい病気で脳を患い、言葉が満足に出なくなっていた。Yはお母さんにとって希望の星だった。

 親戚が集まる部屋で丁寧に弔問の礼を言ったお母さんが「あってやってください」と連れて行った仏間、すでに棺に納められた彼を見た。幅寄せしてきたトラックに顔の肉をそがれたと包帯がぐるぐる巻かれ痛々しかった。妹が「にいたんねんね。ねんね。」と言ってついてきた。その途端だった、お母さんが身を投げ出すようにして「先生Yがこんなになっちゃったよう。こんなになっちゃったよう。」今まで挨拶を受けていた人とは別のお母さんがそこにいた。私には一緒に泣いてあげるしかできなかった。

 学級委員長だったFに弔辞を用意するように頼んだ。翌々日 葬儀では今度は高校側からも弔辞が用意されていた。集まった中学の仲間を目にして私はなぜか涙が止まらなかった。身も世もなく泣き出したお母さんの姿を思うとたまらなかった。「先生大丈夫ですか?」と回りが心配してくれるほど泣いてしまった。

 バイクは危ない。二人ともおよそ暴走族なんて縁がない。ただ便利に乗れて快適だっただけ。若さゆえの不注意もあったかもしれないけれど。

 でも我が家の二人は幸いバイクの免許なんか興味はなさそう。車だって絶対安全とは言えないけれど、やはり乗ってほしくはない。今もそう思う。