我が家の娘について、Yahooの時からお付き合いの方はご存知ですがこの記事を読ませていただいてもう一度振り返って書いてみます。

  私は気が付いたら結婚7年もたっていたって感じで妊娠しました。そしてひどい流産の末なかなか子供が持てませんでした。

 夫は「子供を産んでもらうため結婚したんじゃないから。」と仕事と不妊治療で悩む私にストップをかけました。私も教師という仕事柄深く悩む暇なく忙しく過ごしてまた7年くらいたちました。

 私は生徒のことで何度か児相にご相談に行く機会がありました。生徒が検査を受けたり、お母さんが係りの方とお話をする間、別の係りの方とお話をする時間がありました。それで自分のこともお半紙していたと思います。

 ある日私の出張先に児相の方が見え、その学校の校長室に呼び出されました。びっくりする私にその方はおっしゃいました「明日生まれてくる予定の子供を引き取って育ててもらえないだろうか」と。児相の方がお母さんから相談を受けた際私のことをみなさん思い出されたそうです。

 とりあえず出張先から自宅に帰り、夫に電話を入れました。別の県い住む両親にも相談しました。我が家はみんなおっちょこちょいです。悩まない人種です。「それなら引き取ったら。」

 お母さんは相手の男性10年も付き合い今度は結婚するという言葉に騙されて三度も中絶、今回医者に行ったときはもう中絶は無理だといわれたようです。その男性は板前さんですが、店を持たせてやるから娘と結婚しないかと持ち掛けられ、その人にも子供ができたから結婚すると籍を入れてしまったそうです。

 お母さんは一人では育てられない。生まれる子のためにもその人としっかり別れるためにも子供はちゃんと育ててくれる人に託したいと決心したそうです。

 医者にかかるのを躊躇していたためか、子供は10日遅れて生まれました。

 その間に産休も育休もない私のために赤ちゃんを見てくださるといってくださるとう卒業生のお母さんが現れ、私の母や伯母も交代にきてくれることになりました。

 にわか仕立ての父親と母親は何の準備もない中で必要最小限のものをそろえて待ちました。

 赤ちゃんは女の子。2540g、冬ならガラス箱だよって言われたけれど、元気に生まれました。お母さんはお乳を直接飲ませず、絞って与えました。そして6日目退院と同時に私はその赤ちゃんを抱いて帰りました。力を込めて抱いたらあまり軽いのでびっくりしました。

私の産休は2日間でした。

        

 お母さんは生まれた子に関しては一切詮索しないという一筆を実父にあたる男性からとっていました。

 そして家裁でで正式に養子縁組をしてその子は私たち夫婦の子供になりました間もなく48歳になる娘がそうです。

 ちゅうど学期末テストの採点、成績付け、通信簿すべてこなしながら夜中にミルク作り。もうフラフラでした。でもかわいい。一時たりとも後悔はしませんでした。

 大きくなって時々娘の考え方に実父に似た利己的な面を見てドキッとすることはありましたが、それなりに話し合い今も一緒に暮らしたいという娘の言葉に従って婿殿に都合の良いところに家を建て二階下で二世代同居しています。

  血のつながりは重要かもしれません。でも育てるという行為は大変な苦労より大きな喜びをたくさん与えてくれます。 

                    

 私どもは娘が高校の時1年間アメリカへ留学する前にいきさつをしっかり話し、その後はそのことは必要ならばオープンにしています。

 我が家では私の実父が私が生まれて200日目に亡くなり、父は継父に当たりました。その継父も娘をかわいがってくれました

         

 私と亡くなった母以外はだれも血のつながらない家族です。でも私は孫たちがかわいくていとおしくてなりません。

 「あっぽ」さんのブログを読んで日本でももっとオープンに子供を引き取って育てられたら、その方が幸せになれる子供もいるのかなって思って書いてみました。