躾と称して我が子を死に至らせてしまったり、我が子が殺されるのをとめなかったり、そんな心情はどう考えたって理解できない。
でも百人いれば百人の家庭があり様々な事情を抱えていてその中で子供は育っていかなければならない。
子供は本当は決して悪い子ではないけれど、どこかで切れて乱暴をする。ちょっと相手の家にお詫びの電話入れてほしくても、酔っぱらったお父さんが電話かけたのでは逆効果、担任が事情をお話すればたいてい地元だし分かっていただけるからこじれたことはないけれどつらい。
奥さんは「逃げた」そうだ。子供は四歳から十一歳くらいまでは「ばあちゃん」が見ていたが亡くなってしまった。家は丘の上。掃除しないし雨戸たてないから廊下ははふきさらし。私は自転車を帰りに楽なように坂のくだりに向けて止めた。お父さん夕方だったからアルコールは入っていなかったと思う。「先生俺もずーっと独り暮らしでよ」、ってステテコ姿のお父さんがにじり寄ってきたのには面喰った。「大変ですね。でもお子さんのために頑張って。」というと「じゃ失礼します。」私は自転車にまたがって坂を滑り降りた。こっちだって四十代代後半若くはないけれど、怖い。
そのお父さんがその秋急死してしまった。誰も面倒を見るものなく、児相があずかってすぐ施設送りが決まった。運動会の予行の日、彼はクラスと別れに来た。クラスの子は暴れん坊で困ったちゃんだけど、決して彼を嫌いじゃなかった。男の子さえみんな泣いて別れた。
施設を出て働いてた彼はちゃんとスーツ着て成人式にやってきた。雪の庭で雪玉投げあって友達と笑っていた。とび職は身軽な彼に向いていた。
しばらくして同じ施設出の女性と結婚し、子供もできたと一度だけその奥さんが葉書をくれて返事を出したが、もう一度出した時は転居先不明だった。どうしているだろう。
運命に翻弄された子供たち、友達も消息を知らない卒業生がいっぱいいる。だから本当に良い教師だったかっていわれるとそんなことはない。ただ来るもの拒まずだっただけ。後悔はいっぱいある。
隅っこに咲いていたハナニラを見たらふと彼を思い出したので。

