ドラえもんのアニメを見ていると空地に何気なく土管が置いてあり、そのうえでジャイアンが演説などしている。

              

 私が戦時中過ごしたのが軍需工場の町だったせいか至るところに土管が転がっていた。小学校に入りたてはまだそれほど空襲はまめでなく学校から帰ると裏の野原の土管の中で遊んだりもした。落ちた爆弾が作った大きなすり鉢状の穴さえ遊び場だった覚えがある。

              

 もちろん今の子供のようにかわいいかっこうなどしてはいなかったと思うが子供は子供だから。でもあの土管の中に空襲警報のサイレンが鳴ると何度隠れたことだろう。あれはそのためだったんだろうか。

 2月ごろ東南アジアを制したアメリカ軍が硫黄島に到達した頃からその周辺の空母から飛びたつB29はあっという間に本土のいたるところに姿を現すようになる。もう学校へ行くより町の人々と一斉に入る高台の下の防空壕へはしるほうが多くなる。

 しまいには機銃掃射で狙いを付ける小型機までやってくる。庭の防空壕へさえいけなくなる。それでも子供ってそんな毎日を受け止めてわさわさと動き回っていた気がする。

          

 これは軍需工場の町シリーズの中の一つ。初めて爆弾を怖いと思った日だった。家に帰ると玄関のガラスは爆風で落ちて粉々になっていた。

 今大人になって美しいキエフが焼けただれ、人々が逃げ惑うさまを見ているほど、実感のない夢のような情景なのだけれど、死が隣り合わせにあったことを感じている。