今は工業団地や新しい住宅、集合住宅まであるというけれどそこはこんな所だった。

 

          

 鹿沼の市庁舎?で辞令をいただき。教育長さんが直々に、このバス停でここ行きのバスがきたら乗れって教えてくださった。2時間に一本のバスは不安だから「北犬飼中学校はこれでいいんですね。」って確認して乗り込んだけれど、見えるのは畑ばかり。運転手さんは停留場じゃないのに、学校の門の前にバスをとめてくれて「ここで下りていいよ。」といってくれたっけ。

 ところどころ新しい板を張り付けたぼろ校舎は男体颪が吹くと窓ごと時々落下した。

 補習の夜は節穴からネズミが出てきて追いかけて蛇まで登場し、都会育ちの私は腰が抜けそうになるほどびっくりした。

           

 でもそう年齢の違わない同僚は仲が良くって楽しかった。

          

 真ん中の外廊下を渡ると住み込みの小使いのおばさん一家の家があり結構広い土間に二部屋ほどついていて一家4人が暮らしていた。先代のおばさんの時までは重たいベル持ってふって時間を知られてくれたけどこの頃はもうチャイムが今と同じになった。

 秋には蕎麦粉が届き男先生がうってくださった。おばさんがぶつ切りの鶏肉とたっぷりのねぎを入れた汁を作って、みんなで舌鼓をうった。蕎麦ってこんなにおいしいんだって初めて思った。

 暮れにはもち米が届けられ餅つきをした。私はお鏡とのしもちにして届けられるお餅しか見たことなく餅つきは絵本の中の出来事のようだったのに、捏ねとりがすっかりうまくなったっけ。大根おろしや、餡子を絡めて食べるつきたてのお餅のおいしかったこと。

 

 この詩集はこの学校を去ってからできたものだが卒業生も何冊か新聞のコラムなどを見て買ってくれたものの中にある。挿絵はこれができた時担任していた3年生の男の子がすべて描いてくれたものだ。

 転勤だ疎開だと右往左往した私が48年も住んだ宇都宮の隣、山と川のある町は思い出の帰るところだ。