あれまあ大きな間違いです。じーじさんありがとうございます。

 

 ノート広げてみたら見開きの上のページに上の部分。下に下の部分、そこだけ万年筆。あとは鉛筆の走り書き。私てっきり同じ時と思っていた。

 でもちまちまと書いてある鉛筆書きのぐしゃぐしゃな文字見たら違う。前半は銀座ローマイヤでバイトしていた時と書いてある。

 とすると1年の時から、学校祭で演劇に参加した仲間たちとわいわい騒いでいた時代が終わって、いつの間にか二人だけで行動するようになった頃だ。3年の冬クリスマスの日。夜の街の歩き初めだったかもしれない。

 後半は確かに丸善で、卒業間際まで働いていた。女3人組。一人は上の方で事務的な仕事。もう一人は文具部門かな、そして私は事務機販売。

 東京都と埼玉県の教員採用試験には受かっていたけど、採用通知はまだ来なかった。すごく不安だった。

 いつも貧乏だったから豪華なレストランでデートなんてことはなくて。

 新宿には「三平食堂」、最近まで名前残っていたと聞いたけど。

           

 こんなスマートな格好じゃなかった。

 渋谷は「渋谷食堂」いろいろなものが安く食べられ、外の棚にずらっとメニューが並べてあったような。

         

さすがにこちらは昔消えたと思う。

 

 家庭教師のご縁で大蔵省の貿易年表の校正のバイトしたとき、あぶれていた彼を誘ってあげたそれが3年の夏だった。

 

 4年の夏は昔没落した母方の祖父の書生として働いていた代議士の秘書の秘書して議員会館にいた。中曽根康弘とかよく名前知っている政治家が訪れた。ボスもまた政界の重鎮だったっけ。

 

 そんなこととその時の小さなエピソードが鉛筆で書きこんででぎっしり。

 ボールペン社会になったのはいつからだったんだろう。代議士さんが暇な時間使っていいといってくれた卒論書くのに難儀している私にパーカーの万年筆くださった。ず~と使っていたけど。その頃は卒論万年筆で書いた。二百枚以上の原稿用紙で。

          卒論の一部

 あれやこれや思い出に浸っている場合ではなくお誕生日間違えて天皇陛下失礼いたしました。みなさんごめんなさい。

 

 今日のお弁

           

 

 串揚げオンパレード。