昭和20年代ミッションスクールの生活です。
学校にあった聖堂「おみどう」と私たちはよんでいました。私も含めて半分以上は洗礼を受けた信者ではありません。それでもここで祈りをささげるのは嫌いではありませんでした。
大きなミサでは「キリ~エエレイッソン」なんてわけのわからないラテン語の唄を歌いました。
爽やかで好きでした。
でもこれはなんだかねえ。短いスカートの裾にゴム入れたみたいな変なブルマー姿。これが体育着です。
私たちの学校は「あそばせことば」を使うことは確かにありましたが普段はそこまで丁寧ではありませんでした。それで近所の学校の噂では「赤お勝ち遊ばせ」「白お勝ち遊ばせ」と応援するというう噂が流れていましたが普通に「赤勝て、白勝て」といっていました。
ただ家庭科の一環として小笠原流のお作法の先生が和室で教えてくださったら
「お畳にお手をおつき遊ばしまして」「お畳のふちはおふみ遊ばしてはいけません」とこうなり、しばらく体育の時間いいいボールがきたりすると「おチャンス」と叫ぶのが流行りました。
高校の時でさえ懐かしい小学校の階段で全員で写真撮りました。
今のシスターはこんないかめしい服装はされていませんが、当時は何とも不思議なフードかぶっていらっしゃいました。男の先生だっていらっしゃいましたよ。
私はこんな雰囲気で小・中・高を過ごしたから、どうしてもまったく違う雰囲気のところへ行きたくて、バンカラで知られた大学を選んだ部分がありました。
継父の倒産などで貧しい大学時代を過ごし、共働きで31年間。その間は同級会も同窓会も出ませんでした。卒業した時に無理して一度出て41年後に同級会に出てからは、お金持ちの奥様方が多い中でも私は私という感じで楽しく参加しています。



