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母のすぐ下の叔母は姉妹の中では一番財閥の家に嫁ぎました。もちろん周囲で決めた結婚です。すぐに男の子を一人儲けましたが、実は叔父さま本質的に性同一性障害であったのです。子供ができて世間の目を気にしなくてよくなったためか2階には若くてかわいい男の子が2,3人いつも集まっていました。叔父は戦後実家の援助がなくなっても職につかず進駐軍のキャンプのクラブで演奏するバンドを組んでいました。男の子はそのメンバーだったり日劇の大道具の絵を描く人だったり。やさしい親切なお兄さんたちみんないい人でした。何がなんだかわからないまま私はそこに6か月いました。
叔母は横田の米軍キャンプの宝石店に勤めて息子を大学まで出しました。
一人息子のお嫁さんの実家はお金持ちで家を建て直し叔父叔母にワンルームマンションのような一間を与えて縁を切りました。体を壊した叔母は転地療養が必要というので2か月預かりましたが、息子が迎えに来ない。元気になった叔母は11年間私たちと暮らしました。最後に叔母は引き取りに来た息子によってキリスト教系の養老ホームへ送られ93歳まで穏やかに暮らして亡くなったそうです。
叔母は人生で我が家にいた11年間が最も楽しかったといってくれました。
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母に娘が頑張っているから働いたらと就職を世話してくださる方がいて勤めに出ました。でも母は三日目に「私には向かないわ」とさっさとやめてきました。
謡曲習っていた時のお友達が家で革手袋の縫製をなさっていて楽しく集まっておしゃべりができるからとこれはずっとやっていましたが、銭湯代くらいにしかなりませんでした。自分が働くなんて考えない人でした。
晩年継父の死後必死で積んでおいてくれた厚生年金も継父の死と同時に私たちと住むと決めた母は生活費は一切関知せず、旅行におしゃれに費やしていました。母にとって女とはそういうものだったようです。
夫はかかわりのない人が家族に入って来ようと一切何も言わないで普通に受け入れてくれる人です。母も叔母も幸せだったと思います。


