9月1日は防災の日であることは皆さまご存知でしょう。1923年(大正12年)9月1日11時58分ごろ起きた大地震は南関東及びその隣接地で大きな被害を及ぼしました死者、行方不明者約105000人にも及びました。おりしも台風に吹き込む強風が関東地方を襲い、木造住宅が密集していた当時の東京市の至るところが火に焼き尽くされたといいます。

        

   

 さらに朝鮮人が暴動を起こすという風評により朝鮮人虐殺などの悲惨な事件もおこりました。きちんとした情報が入らない恐ろしさを感じます。

 

 母は8歳、たまたま兄やその他の姉妹たちが小樽や大磯の別荘にいたのに、夏風邪を引いて一緒に行き損ね東京の家に残っていたそうです。やっと風邪もなおったけれど、今から出かけるもならず、祖母がかわいそうだから日本橋の三越の食堂に連れて行ってやろうといって運転手に車を出させたそうです。だから地震が起こった時デパートの5階にいたそうです。祖母は少しも騒がず、エレベーターは危ないから階段を降りなさいといって下まで降り待たせてあった車に乗ってまだ混乱さえ起きる前に麻布に帰り着いたそうです。

 

 父方の祖母と居た5歳くらいのころ、このような地割れのある写真を見せられ、やたら逃げ回ったら危ないから落ち着いて行動しなさいと言われとても恐ろしかったことを覚えています。

        

 

 小学校の先生はまだ4,5歳のころ、たまたまお昼に大好きな卵かけご飯を食べていた時大きな揺れがきて、お母様に「庭の竹やぶに逃げなさい」といわれ裸足で竹やぶまでかけて行ったそうですが、なぜかお茶碗とお箸を持ったまま泣きながら卵かけご飯を竹やぶの隙間の地面に座り込んで食べたと話してくださいました。建物の下より竹やぶは安全だと教えてくださったのでしょう。

       

                         写真はいずれもネットからお借りしました。

 備えあれば憂えなし、着替えは頭の上か足元にちゃんとおきその上に当座のお金を入れた財布をおいて寝る。それが母から教えられたたった一つのことで、なぜかそれだけは今も習慣になっています。

 

 そのあとも大きな地震が何度か日本を襲いました。でも現実に被害にあっていない私は防災グッズもおざなり。それでも3月11日お水だけは取り替えてラジオと電池の傍に置きました。

 

 皆さんはどんな防災をなさっているのでしょう。

 

 コロナにかかった二人はもう登校許可も下りて学校にきているそうです。まずはよかったです。