今日もいい天気
久しぶりでパン屋さんでブランチに付き合う。私は先発、てくてく歩く。
帰りはまたてくてく。
パン屋さんも裏は少しだけ昔の名残をとどめる田園地帯。向こうは隣町の丘陵。秩父連山に続く。
昼の日差しは強いが葉陰は気持ちがいい。
父の立場上私が小学校の頃から電話はあったが使ったことはない。確か最初は壁についていてとってみたいなのをぐるぐる回して交換手を呼び出していた。
私たちの家に最初についたのはこんな形かな?
とんでもない教え子がいて中学の卒業文集の原稿締め切りなのに出ていない。明日学校で書かせるか、と思っていたら夜の11時半過ぎチャイムが。出たら「先生今日中に持ってきたヨ。」って現れた。
この電話の頃はなぜか電話番号の末尾が我が家は7,はやりの蕎麦やさんが1.覚え違いなのか休日にはよく注文が入った。いちいち間違いを指摘していたが、時にはそのまま注文受けちゃおうか…とわらったものだ。
くだんの卒業文集の彼がけがをして入院中に准看護婦さんに手を出し子供ができてしまったと私の家に来たのが19歳。電話機を売る店で働いているもう1台売らないと出産費用がない、「先生プッシュホンにしませんか。」 お母さんも妊娠中でお父さんは面倒見られないっていわれたって。何とかなるならと買い替えた電話機がこんなのだったかなあ
当時としては高かった。「無事女の子が生まれた」って1か月後くらいに電話があった。「しっかり育ててね」と伝えた。
それから15年余り、同級会に来た彼が「先生、うちの娘今年高校、おやじの娘(つまりあなたの妹ね)より出来が良くていい高校へ行った。」って。環境が良ければ彼もできは悪くなかっただろうから納得。
その頃は品の悪いいたずら電話が多かった。中学生の娘がいることわかっていたせいもあるかもしれない。でも電話はリビングと寝室にしかない。リビングでは大体母とその頃一緒にいた叔母がテレビ見ている。娘が出ることはほとんどない。
「一緒にホテルに行こう」はまだまし、もっと露骨な言葉が投げかけられる。でも相手が悪い。「あらうれしい。でも私70歳ですがよろしゅうございますか?」がちゃん。叔母殿、おぬしやるねえ
「お宅に爆弾を仕掛けました。」っていうのにはすぐ110番。心当たりはないが一応ジーパン姿の恰好いい刑事さん二人家じゅう探査機みたいなので調べ、ちょっとでもおかしいことあったらまた電話するように言われたが何事もなし。。
これはもうFaxついてから母が送ってくれというから送って原稿返したら、「アラかえって来ちゃったの?」ってもしそうなら空はひらひら紙だらけ。
オレオレ詐欺初期、日本語教えていた関係で外国人から電話がはいる。「俺だけど、俺」耳の悪い母てっきり外国人だと思い「オレ様でいらっしゃいますか。今娘とかわります」向こうが「?」
今は第1位、保険の勧誘、2位家のメンテナンス、3位「何か買い取るものないか」
すみませんどの手も間に合っております。






