兵庫県芦屋⇒東京山伏町⇒都立大学⇒田園調布⇒⇒神奈川県綱島⇒疎開岩手県⇒綱島⇒鶴見⇒芦屋⇒東京東中野⇒東中野アパート⇒埼玉県上福岡⇒宇都宮のアパート⇒宇都宮の家⇒埼玉県坂戸。
ここへ落ち着くまでこれだけ動いた。赤は伯父の家、祖母と。アパートは継父が倒産して大分に財産処分のため一時身を隠した時。宇都宮のアパートからが結婚してから。84年のうち47年は宇都宮の家にいた。
2度めの芦屋にいたのは高校の1年半。また転勤で東京に戻り元の学校へ。それなのに夢に出てくる家は芦屋の社宅ばかり。なぜだろう。他だって色あったし特に印象深かったとも思えないのだが。
社宅にしては大きいほうだった。
昔は一部屋がいろんなふうに使われていたっけ。居間には洋服ダンスがどこかに置かれていたような。
継父の田舎からお手伝いさんが来ていて、この人が夕方「A子さんご飯ですよ~。」と2階に声かける。芦屋高校の野球部が練習終えて帰る頃だ。私の家は阪神芦屋駅からどうやっても芦高のグランド脇通らないと帰れない。そこを通ると小さな囁きがグランドから起きる「A子さ~ん」「A子さ~ん」 なぜ名前がわかるのかと思ったらお手伝いさんの声をきいて覚えたのだ。この年芦高は甲子園優勝、家の前をちょうちん行列で通りながら「A子さ~ん」。この仲間には昔阪急ブレーブスにいて立教の時は長嶋と三遊間守っていた本屋敷がいた。
これは高校3年生の時の私。芦屋から戻っていた。
この後間もなく父が倒産したから社宅暮らしのお嬢様最後の頃。
2階の私の部屋を通らないと泊りに来た従弟たちの部屋にいけない。いつも一人ではないからいいけれど、みんなが眠るまでねられないし、大変。ついに私が友達の家に泊めてもらった。目的は夏の甲子園を見に。案内はいつも私。甲子園やけで真っ黒。
湿気が多い浜芦屋、夜暗い中で台所に行くと大きなナメクジ踏みつけるし。
五右衛門風呂は暗くて不安定で入りにくいし。
階段あがったつきあたりの壁が台風で崩れて階段が懸崖の滝のなったときにはびっくり、お手伝いさんが傘さして「ご飯ですよ。」
そんなところの夢を切れ切れに見ている。
今の家、孫たち夢に見るかな。
私の好きな階段図書館。突き当りの窓開けて玄関側の電気付けて、階段に座って本を読む。最高。
母用のトイレ車椅子も入るが大体ドライで済ませいるけれど突き当りからウッドデッキに出られてすぐ干せる。小さい時は孫たちも庭で遊んでて戸を開けて入ってきてそこで用を足していた。
思い出いっぱい作ってほしいな。
今日のお弁当。
今日もデザートはマンゴー。





