真夏の日差しの中、大学病院へCT検査に。ちょうど朝、見えたあちらのお義母さんが「暑いからのせて行ってあげるわ」って助かった。四分の一の時間で済んだ。
車の中から撮った山の斜面にある病院の建物の地図。
まあ行ってみれば迷路。でも大分詳しくなった。すぐ終わって検査のため朝食抜きだったのでかえってブランチ。
1936年、実は私の生まれる前の年。日本は第ニ次海軍軍縮条約脱退12月にはワシントン海軍海軍軍縮条約が失効して、軍縮協定が終了。1937年の日中戦争で日米関係は悪化の一途をたどることになる。
アメリカもイギリスもドイツもすべて一堂に会していた母の実家、岡田家のサロンも、続々と英米の軍属から先に去っていったようだ。
のちにマッカーサーの副官の一人となって訪れたE.P氏もその一人。必死に堪能な日本語をローマ字にして書いたラブレターは母を感動させなかったらしい。母はそんな危ない橋わたる人じゃない。気楽にお嬢様生活貫ければいい人だ。
恋に溺れて海など渡りはしない。(私なら絶対渡る!)
さっさとまずまずの日本人と結婚したのが1936年。一方は国の命令で急きょ帰国。漏れ聞いたのが彼女の結婚だったらしい。
かなり慌てて書かれた手紙も直接送れず、外交官の友を通して同封として送られている。
まあこの人と結婚していれば私の代わりに混血の美女が誕生していたかもしれないし、収容所に送られてとんでもない苦労をしていたかもしれない。
そして互いの人生を十数年、一方は戦勝国の地位ある軍属として、一方は敗戦国の小さな社宅住まいの主婦としてであったという訳だ。
そこには恋心を越えた懐かしさだけがあったのだろうか?時には.伯母、叔母たちも交えて、時には私たちの家族だけを相手に昔を語る時間を、たくさんのごちそうと一緒に用意してくれたのだ。
私の記憶では右から2人目か一番左。ちょっとふと目で背が高い人だったと思う。前に立っているのがサングラスもパイプもないマッカーサー。
日常に戻って。今日のお弁当。




