ちょっと具合が悪くて引きこもっているという噂が広がったらメールやお見舞いの手紙が来る。

 手紙はさすがに文芸部だった生徒からが多い。やっぱり書くの好きなんだと思う。

 そういえば文学散歩と称して近間を自転車や歩きで回り我が家でお昼作って食べたりしたものだ。残念ながら写真は残っていないがこれはそのコース我が家の近くにあった野口雨情の碑。疎開してここに居つき、娘さんが鹿沼の写真やさんい嫁いでおられた。お話を伺ったような気がするがどんな童謡も船頭小唄みたいな節回しになるっていうエピソードだけ覚えている。夫怖い顔!50年も前。

      

 

 これは建て増し建て増しして大きくなった我が家。初めは下の右から二本目の柱まで位の平屋。それでも金融公庫は2年は当たらないって言われたので申し込んだら一度で当たり慌てたたものだ。仕方がないのでちいさなリビングダイニング、寝室、両親が泊る4畳半だけ。手持ちのお金はトイレ分だけ、汲み取り式の頃だった。この大きさになったときはさすがに水洗になり、しかもセントラルヒーティング。でも建て増しはどこからか雨漏りがして10年ちょっとでギブアップ。

     

 二階の突先に広い部屋がありそこへ同級会と間違えた生徒が25人もきちゃってテラスにまではみ出して座っていたっけ。

 セキスイハイムの軽量鉄骨になったその家はもう30年以上になるだろうが今もしっかり現役で、20畳のリビングは小さな美容院になっている。

 

 たくさんの人が集い、いつも賑やかな家だった。急に中学生がきて手巻きずしの材料かいたしてきたけれど、ご飯が足りない。今みたいにチンするご飯なんてないし、お隣にお米持って行ってご飯たいていただき酢飯にして持ってきてくださったっけ。

 

 病気だって聞いたら心配だからラインで顔見せてって。化粧けないし今更。でも抗生物質で食べられなくなってやめてからはこまめの食べて体重は何とか戻ったから安心してってひどい写真を。