曇って風が強かったのに寒くない一日でした。
メイさんに触発されて夢見ました。
その人は、父親を戦地でなくしていました。お兄さんは警察学校を出て警察官に、そしてお兄さんの頑張りと奨学金で大分の高校を出て東京の大学に入りました。継父の遠い親戚で東京での生活援助にアルバイトの家庭教師をしたいととりあえず私と、父方の従弟を紹介私が中学3年の時でした。
私べつに教わることなく煩わしくて、本当は自分で勉強する方がいいなあって思っていました。
半年ほどして継父が関西に移り、中途半端なので私は母方の叔母のところから学校へ通いました。そこには二つ下の従弟がいて結構勉強に四苦八苦していたのでその人はそのまま従弟の家庭教師としてくることになり、私はテーブルの反対側で一人で勉強していればいいことになり、ほっとしました。夏休みは従弟と私を連れて尾瀬沼へ一泊でハイキングに連れて行ってくれたりまあ兄貴のような感じでした。
関西に移ってからは両方の従弟連れて夏の甲子園を見に来て家に泊まったりしました。
東京へ戻ってからも何かと家に出入りすることはあっても二人で行動することはなく、私はひたすら亡父のいた大学へ行こうと勉強していました。それは憧れとかではなく、まただれに勧められたわけでもない一つの信念でした。
高校を卒業する年、その人は上級公務員試験に合格運輸省に入り大阪勤務になりました。
そして将来私と結婚したいと申し出た様です。その時父母のところでどんないきさつがあったかは知りませんが彼は私の家を継いでくれるそして私が大学を出たら結婚するという約束ができたらしいのです。彼はずっと私の傍にいましたから私も気持ちわかっていたと思っていたらしいのです。でも私はただ兄貴みたいな感じ。しかもその時父の会社が倒産し、大学受験をどうしようかという事でそれどころじゃなかったのです。
彼は私に誕生石の真珠の指輪残し大阪へ。私は伯父に借金したりして何とか大学へ。
そしてその秋悩んだ末誰にも相談せず指輪を彼に返しに行きました。嫌いじゃない、でも結婚の相手として考えたことない。
長々と書きましたがまあとにかくそれ以来あっていない人の夢見ました。夢の中で「連絡とれっていわれスマホに番号登録していないわ。」といっている私はまだ20歳くらい。でも最後に「だって私たちもう87と83よ」って笑って目が覚めました。
なんて変な夢でしょう。国家公務員の奥さんの方がよかったかもって冗談言ったことあったけどそれ以上以下でもないのに。そして目覚めたら丑三つ時。
今日のお弁当。
弟君あまり行かなかった学校なのに苦心惨憺卒業文集の作文しあげました。自分の気持ちかいたところ先生に削除されていたみたいでなんか不機嫌。「みんないい人だったけれども僕の性格でなじめなかった」というようなこと書いたらしい。そこもしかしたら不登校知るうえで大切なところだったかも。
自筆で載るため必死で書いていましたが几帳面さのわかる字でしょう?



