母に聞かされる関東大震災の時の話は遠い昔の物語のようで実感がわかなかった。どこかでそんな災害は起きないことのように思っていたのだろう・

 早期退職した私は企業の始業前の日本語レッスンのある日は早く起きて6時の迎えの車に乗る。でも1995年1月17日は確か水曜日で夜のクラスしかなかった。娘は東京のアパートから大学に通っていたし、夫が家を出るのは7時過ぎ。それでも習慣で5時に枕もとのリモコンでテレビの報道番組を付けた。

 それが起きたのは5時40分を、過ぎた頃、たまたま朝日放送に大阪スタジオからの実況で激しい揺れが起こった・

 そのあと刻々と伝えられる惨状は目にあまりあるものだった。

        ネットから

 朝日放送から現場に駆けつけた島田大アナウンサーが崩れ落ちた高速道路に茫然としていた。彼は宇都宮で私の教え子だった。久しぶりで見る彼の声はどう表現していいかわからない現状に戸惑っていた。確か永田町を中心に出た炎は街を焼き尽くし、死者の数はうなぎのぼりに6000人を越えた。(のちにそのことを書いた小冊子を実家でいただいた)

 

 その後の世界では人災といえる9・11が起き、続いて3・11が起きた。今は掴まえ所のないコロナの脅威におびえている。

 

 多くの失われた命が無駄にならないように私たちは何を学んでいったらいいのだろう。