久しぶりに立原道造の詩集なんか読んでいた。
若い時のように胸をふるわせることもなくただぼんやりと文字をたどっていただけ。二十四歳という若さで夭折した詩人の詩は、今は静かな音楽を聴いているような気分。
春がきたなら花が咲いたら
木のかげに小さな椅子に腰かけて
ずつと遠くを見てくらさう
そしてとしよりになるだらう
僕は何もかもわかつたやうに
灰の色をした靄のしめりの向うの方に
小さなやさしい笑顔を送らう
僕は余計な歌はもう歌はない
手をのばしたらそつと花に触れるだらう
春がきたなら ひとりだつたら
私は年寄りにとっくになってしまったけれど、何もかもわかりはしない。やさしい笑顔なんて送っていられない。歌はとっくに歌うのをやめてしまった。
春がきたならコロナが収まっていたらいいなあ。そんな現実的なことくらいしか考えないなあ。
でも24歳の頃、中学生と一緒に私も歌を歌い、物語を紡いでいたっけ。
多分24歳よりは年取っているけれど、30にはなっていなかったと思う。詩集に挟んであった写真。
さてさて今日も歌どころじゃない日が過ぎてゆく。我が家の不登校坊主は英語に行った。唯一同年代の子供に触れる機会だから早めに晩御飯食べさせてせっせと送り出す。
合間に脂肪蛋白抜きのお食事もすませていただく。
私はお兄ちゃんの学校の話聞きながら一緒に食事。
今日のお弁当。
お兄ちゃんのほうは後20分しないと帰ってこない。

