娘のところに宇都宮の中学校時代の友達が遊びに来て、夜遅くまでおしゃべりできるように、婿殿が寝室から押し出されてお兄ちゃんの所へ。お兄ちゃんは亡くなったおばあちゃんのベッドに寝るって。民族大移動。
彼ら公立中学校の女の子、当時栃木の言葉荒いと思ったら、東京の中学生の言葉は隠語みたいでなおわからなかった。今は二人とも私たちと同じ言葉でしゃべっている。
疎開で岩手に行って鬼ごっこで捕まえたら「ンガジャーン」といわれたと思った。いまだに意味わからないまま。ただ追いついたのに「おかあちゃん」と叫ばれたと思って私の方がびびって手を離した記憶がある。
高校で1年半神戸の女学校へ。結構ちゃんとした言葉を使う女学校だったが、体育の先生が私にボールをひょいと投げて「なおしといて」といわれた。私はボールがどこか壊れいるのかとぐるぐる回してみたがわからない。考えてみればバスケットボール私に繕えるわけもない。「なにやってるの、片付けてって言ってるのよ。」納得。先生も東京から来た生徒とわかって笑いだしていらっしゃった。
さて主として東京のミッションスクールでて、東京の大学ですごした私がいろいろな事情で栃木の農村に着任した。夏休みの家庭訪問。約束の時間に行ってもだれも居ない。「ごめんくださ~い。」大声で叫んだら、おばあちゃんが出てきた。
「 せんせ様よ。すんません。あまやにいたんで聞こえなくって。急にじゃんぼができたんで、おっとさまとおっかさまでかけてらんとばまでついていかねといけねえってかえってこられんのせ。どうすんべえかねえ。」「???また来ますから失礼します。」
学校へ帰って地元の先生に翻訳していただいた。
アマヤ=納屋 じゃんぼ=葬式 らんとば=お墓
でも授業中アクセントやイントネーションはべつにしても生徒はちゃんと喋った。休み時間言ってることときどきわからん。
歩き遠足の帰り「こえ、こえー。」「何かでるの?」「ハ?疲れたってことです。」「じゃ私もこえ~。」
3年目東京オリンピックがあって彼らの家にもほとんどテレビが入った。その頃から方言は消えて行った。
初めの頃「ちくらっぽ(うそ)ばっかりいって、このでれすけやろう(おおばかもの)。」なんて年取った先生が怒っても最後の頃は通じなかったかもしれない。乱暴な言葉なんだけど、なんかその底に温かさがあったもんだ。
「火に当たるより日に当たれ」という教材は無アクセント、しり上がりイントネーションの栃木で生徒より、国語の先生が理解できなくて教室に動員されて読んできかせた。
新しい若い人の使う隠語のごとき日本語に、ついていけないおばあちゃん。でも言葉は生きているから変わっていくのだろう。なんだか方言の温かみが消えるのは寂しい気もするが。
英語の教室にはまだこんな絵が貼ってあった。
子供たちが帰る頃風は空気が冷たい。
君たちの言葉には訛りもなければ方言も交じっていないなあ。
すぐ空はかすかな夕焼け色。
今日のお弁当。



