毎年終戦記念日間近になると同じ記事を書いています。あえてリブログにしなかったのは文字が小さいと自分が読みにくかったからで、コピーして手直ししました。
ですから何度も読まれた方スルーなさってください。
どんなかすかな思い出であろうともその時代をかすかにでも覚えているものの義務としてその語り部の一端を担いたいと思っているからです。
防空壕をご存知ですか?wikiにこんな説明があります。
「鉄筋コンクリート造のものも一部に造られたが、第二次世界大戦時の空襲に備えたものは、物資難の状況から多くは土に穴を掘り、周囲に土を盛ったり、廃材を利用して築いていた。
都市部に造られた簡易なものは、大戦の終結後まもなく破壊されたが、郊外に造られた洞窟状の防空壕や、鉄筋コンクリート造のものが残っていることもある。戦争遺跡として保存すべきという意見もあるが、崩落など事故が懸念されるものもあり、各地で問題になっている。」
私のいた町に作られていたものはネットからお借りしたこの写真に一番近かったような気がします。
文教場も丘の下にあり、少し規模の小さいものが生徒がすぐに逃げ込めるようになっていましたが;町全体のものはもう少し中が広く大きかったと思います。「硫黄島からの手紙」で残った兵士たちが暮らしていたところのような感じでした。
防空壕
あなたは知らない
あなたが暮らす暖かな家の下に
防空壕という名の
優しい怪獣が眠っているのを。
降り注ぐ火の粉からのがれて
つかの間の安息を求めて集まった人々を
懐に抱えて、
缶の中にともされた仄暗い明かりの油煙にむせながら
じっと耐えた。
壕の入り口から、燃え盛る町を唇をかみしめて見守る
悲しい瞳を隠すようにその背に枯葉を載せて
静かに横たわっていた。
今新たな内臓を詰め込まれて
彼の周りにはいくつもの平和な暮らしがある。
でも、優しい怪獣は
この穏やかな暮らしを守るために
あの日々のつらさを忘れないでと
夢の中でさえ願っていることを
あなたは知らない。
それでも戦争末期には機銃掃射の小型機が頭上を飛ぶようになり、路上に人でもいようものならジグザグに狙い撃ち、壕に駆けつける余裕もなく押し入れの中で息をひそめて何時間も行ってしまうのを待っているような状態でした。子供の時から近眼だった私の目にさえ、ガラス窓を通して小型機を操縦する、飛行帽の下の高い鼻が見えるほど飛行機は急降下してきました。押し入れから這い出て水を飲もうとした私は頭から押し入れに飛び込みました。その時狙われたのは誰だったのでしょう。
50年たってあの町を訪れた時、町はすっかりおしゃれな住宅地となり、壕のあった丘の上の高台には瀟洒な住宅が並んでいました。
コロナの息苦しさに辟易していても、「あの時よりは幸せ。」と思えるのは
こんな時代を生きてきたからでしょう。
