33年前ということになる様だ。娘の学校ではないがALTの先生をしていたアメリカ人と娘が仲良しになり家族中で付き合うようになった。そして彼女の希望で広島、岩国、宮島を一緒に旅したときのことだ。

 原爆記念館を出た陽気なアメリカ娘は急に無口になった。

            

 記念碑の前にひざまずいて彼女は「ごめんなさい」と一言。夕食の席に着くまで彼女は無口だった。忘れられない思い出である。

 

 昨日からの暑さは慣れていない体に応えたようで、午前中に抜擢されて秋から大きな太鼓をたたくことになった猛練習のお兄ちゃんは、さらに炎天下の自転車で日に焼け、夕方から微熱が出た。テストの疲れもあるだろうから水分をたっぷりとって寝かせたら、今朝は平熱。朝から「腹減った」ということになった。午後練習なので早めのお昼なのにまたしっかり食べて元気に出かけていった。

 

 私は頑張って英会話に行った。駅前はいつもより閑散としている。日本語学校の生徒の中にコロナが出たという噂、本当なのか。あの柔らかい東南アジアの言葉が聞こえない。

       

 気の毒に、外国で病気になったら心細いだろうなあ。

       

 パトカーはのんびりとまっている。先日生ビールの空樽二つ盗んだって事件があった。今のところこの市ではそんなところかな。

 

 6時近くなってもお日様じりじり。

      

 暑い暑いとお兄ちゃん帰宅。今日は元気だ。

 

 食事の後で少し原爆の話をした。「ひどいね。」とお兄ちゃんがつぶやいていた。