東京大空襲は生で見た地獄絵図だった。夫は日本橋にいて浅草の親戚を尋ねて翌日浅草いったら隅田川にぽかぽか浮く死体を見たという。「人は死んでも沈まないんだ」って思ったんだって言っていた。

 

 2001年9月11日同時多発テロをテレビでみた。

 マンハッタン島の対岸の学校の寮で17歳という多感な時代を過ごしてきた娘にとってそれは愛着のある風景であり、初めてニューヨークに行った時家族で展望台まで上がった思い出の場所でもあった。崩れて行くセンタービルを眺めながら娘は涙を流し続けた。「あの中に何人が働いているって思うの?」って。テロの目的はそこにあるのだろうがむごいことだった。その映像は何度も何度も流される。それは生で見た場面とは違うインパクトだった。

                      

 

 9年前東日本大震災が起きた。それは日本の中のことでもあり、それぞれに安否を気遣わなければならない相手もいた。それにしても刻々と迫ってくる泥濘化した波の恐ろしさは、しばらく夢でうなされるほどだった。今その画面は載せようとは思わない。

 平凡な金曜日、大好きなスイミングの日。表で縄跳びしながらまだお元気だったお舅さんのお迎え待っていた。「ほら見えたよ」あわててスイミングバッグとりに来た孫たちが私にかじりつく。私はリビングのドアにつかまって自分を支えた。付き添いで行く母親は玄関ドアのところに立っていたので思わずお舅さんにかじりついた。ここはせいぜい震度3か4くらいなのに。短い時が過ぎ、二人は妙な照れ笑い。そしていったスイミングプールは水があふれて取りやめになった。でも翌日から岩手出身のお舅さんはお兄さんやお姉さんなど地元の方と連絡が取れず大変な思いをされることになる。

 私たちにとってはその程度のことで済んだけれど伝えられた惨状は忘れることができない。今も復興は道半ばのようだ。

             

今だって人類が克服できない、自然の脅威、憎悪の連鎖などなど、でも私はもう地獄絵図は見たくない。

 

 コロナを克服して元気に活躍する君たちを見ていたい、