ニューヨークは5回くらいいっている。でもこの時が初めてだったかな。母を「お母さん」私を「お姉さん」と呼んでいたキムさんはアメリカ人、富士重工に勤めるヨコちゃんの奥さん。もちろんヨコちゃんはれっきとした日本人だ。彼がニューヨークのグラマンに出向してニューヨーク郊外に住んでいたのでそのフラットにきてといわれて訪れた。

 母、夫、娘、それにキムに英会話教わっていた娘の友達まで5人も大挙して…。

          

 ついた時用意しておいてくれた二人の部屋着で。5年生の時かな?

          

 その頃は単にお金持ちで有名だったトランプさんのタワービル。吹き抜けの1階スペースはなぜか日本風にしつらえてあった。

 そして当時目新しかった回転ずし。天ぷらや餃子が載っていて変なのって思ったが、今では当たり前。逆輸入みたいなものかな?

        

 「元禄寿司」は「元気寿司」になり、今は「魚べえ」と名を変えているようだが、その間、家庭内のいざこざもあったらしく、その間の子供にもちょっとばかりかかわりがあっが、子供は関係なくおとなしくいい子だった。

 

 そしてこれ二つのビルをつないでいる二階広場で、夫が強烈なビル風にあおられて転んでそのまま撮った写真。今は消えたあの貿易センタービルだ。途中でコンピュータの故障でエレベーターが止まったのに根性で展望台まで登ったっけ。

        

 高校生の時1年間留学でニューヨークの対岸ニュージャージーに滞在して対岸のマンハッタンの明かりを寮から楽しんだ娘にとってこの町はとても親しいものだった。だから家でこのビルに吸い込まれるようにぶつかってゆく飛行機、ガラガラと崩れるビル、巻き起こる粉塵をテレビで見ながら娘は涙をポロポロこぼしていた。「Oh! my  God!」それしか言えない人々の気持ちも分かったものだ。

 

 3回目のニューヨークの時にはもうツインビルのあとは鎮魂の場所になっていた。今の姿は知らない。

 

 思い出いっぱいのニューヨークのお正月の写真を見つけてしばし時の経つのを忘れていた。