戸棚の隅にこんなフォトスタンドを見つけた。
亡くなった父の名前がある。
この学校は私の祖父が創始者である。祖母はそこへ秋田から出てきて住みこみながら勉強し、優秀だったので祖父に見込まれて結婚したと聞いた。ほとんど年子で3人男の子を生んだ祖母であるが、三男ができた時、祖父が食事中に給仕をしながら「またできました」と伝えたら祖父が思わずお箸をとりおとしたと聞いた。
父はその次男で祖母の秋田の親戚の姓を継いでいたので兄や弟と苗字が違う。それでも祖父の跡を継いで教師になるため高等師範を卒業して教職についていたが、母と結婚するにあたって将来の学校経営を学ぶためもあって関西の方の学校に移ったと、これは叔母から聞いた。その時生徒からもらったものらしい。
父は私が生まれる半年前くらいに肺結核で入院。当時薬がない中で肺炎を併発して29歳で亡くなった。父は私が生まれてからも子供にうつるといけないと決して病院に連れてこさせなかったので写真を撮って見せたという。
父が亡くなった時長兄である伯父は結婚して数年子供がいなかったし三男は定職に就かず教育紙芝居に夢中で秋田のほうの人に女の子を産ませたが行き来をしていなかったらしいとこれも叔母から聞いた。だから父の実家では私を手放したくはなかったが、母の存在は少々中途半端、まだ22歳の母は再婚した方がいいということで実家に帰ったようだ。
のちに伯父に男の子が生まれ、再婚した母は流産を繰り返して子供が生まれなかったので、継父が宙ぶらりんの私を引き取ってくれたようだ。間もなく7歳になる時私はわけもわからず母のところに連れていかれ以後はここで暮らすと告げられた。動転した私は一晩泣いた。そしてあきらめた。
母は時々私に会いに来たし、私も母のところへ何度か泊りに行き若い叔母たちにかわいがってもらったけれど、恋しいと思ったことがなかったのだもの。
これしかない写真なので無理やり一つに入れてみた。
私はなんとなく父を意識して大学を絵r日教職に就いたが、別に父にも恋しいとかの感情は持たなかった。それでもこんなことしてみたのはたまたま同時に2枚の写真を見つけたからというだけだが、あんまり似ていない。
母は父について継父に遠慮してか一度も話したことがない。
年取ってからの私は育ててくれた祖母にそっくりである。


