昭和35年4月。私が教師になったときは埼玉県では日教組の力が強かったようだ。組合専従の教員があってそれが中学校から出るはずが、急きょ小学校からに変わったから小学校に赴任してほしいと通知があった。だって私は中学校と高等学校の資格しかない。実習だって中・高でしかやっていない。でもオリンピック景気前の就職難時代。採用試験受かっても行くところがない人がいるのに幸いだといわれればそうかもしれない。飯能の2000人以上も生徒のいる学校へ赴任した。即3年担任。
でもかわいかった。楽しかった。つらかったのは生徒の手前息を詰めて飲んだ脱脂粉乳の匂いくらいかbなあ。
1年で栃木に赴任した夫からプロポーズ。三つの都県で採用試験に受かっている私のほうが合格率がいいからと栃木県に行くことになった。無事合格。泣いてくれる女の子たちと別れて異動した。
まったく縁がなく麦と米の区別もつかないような私が鹿沼の農村地帯にある、軍の払い下げの馬小屋を改築したぼろ校舎の中学校へ。
一年目副担。2年目からの持ちあがり、
この素朴でかわいい面々。一番の機関坊が主任の息子さん。叱りにくくて困ったなあ。でも、叱ったけどね。
教師になって5年目やっと卒業学年担任になる。
今は栃木県だって修学旅行は京都奈良方面。。でもその頃はバスで富士五湖方面。
男の子は来ないけど、女の子は一緒に写真撮りたがる。
卒業式。「3年担任は袴」って言われてお借りしようと思ったが、また必要だからとあつらえた。初めての袴。
このぼろ校舎のガタガタの窓、隙間風の寒かったこと。
その頃埼玉で担任していた子供たちが写真を送ってくれた。
ちょっとやっぱり都会的かなあ。
ブロ友さんもシニアの方が多い。でも年をお召しの方だってこの教え子世代が多い。
皆さんはどこへ修学旅行に行かれただろうか。どんな学校生活を送られただろうか。




