私は小学校6年生から大学1年くらいまで、写真を撮るなんてことはほとんどない時代だったから残っていなくて当たり前の上、アルバムに整理しようなんて気持ちもなかったからほとんど記録がない。本の間からこぼれてきたものや母のとってある箱の中にあったものがほとんど。
Yahooで以前ご紹介したものもあるけど。
神戸の高校にいたときの物。1年半で東京に戻った。
東京へ戻ってからのは卒業アルバムにあるくらい。
珍しい日常のスナップ。老けて見えるけど20歳くらい。お昼抜きが多かったのに一番太っていたけど45キロ。顔だけ丸い。お隣のチビちゃん私が好きでいればいつもついてきた。懐かしいゴミ箱がある。
婚約時代かな?栃木から遊びに来た彼と。彼はこんなに細かったのに。
栃木の学校では1月1日式があった。教室をぶち抜いたぼろ校舎の講堂の中で寝不足の生徒は貧血起こしてよくひっくり返ったが間もなくこれは反対が多かったのか廃止された。
一応晴れ着で参加。
これはどこだろう?今も家では年甲斐もなくこんな格好しているけど。
母の友達がキャンセルになったので私が付き合った。春休みは常にくしゃみしていたが、花粉症という言葉はまだなかった、この2,3年後くらいに、典型的な花粉症と診断された。日光杉並木はすぐそばだった。倉敷では微熱まで出た。ヘックション!
これは職員旅行かなあ。着ているのは自分で作ったパンタロンスーツ布の柄を合わせるのに苦労した。家庭科の先生の提案でみんなで夏休みに製作。
これも職員旅行ミニスカート全盛。30代半ばだがひざっ小僧丸出し。
そしてこれだけははっきり覚えている44年前。娘が来たのはその年の7月6日。テストの採点、通信簿付け、夜中のミルク。急に赤ん坊を引き取ったのだから産休なんてない。夏休みに入った頃はよれよれになっていたらしい。何か月も前。継父が、大学時代苦労させた罪滅ぼしにハワイ旅行を申し込んでおいてくれていた。私は赤ん坊が大事で行かないと主張したが、娘を3人自分の手で育てた伯母が来てくれて母をサポートするし、昼間家にきて赤ちゃんを見てくれている奥さんも大丈夫という。それよりあなたが倒れてしまうからぜひ行きなさいとハワイに押し出されたときの写真だ。ただハワイではその辺をうろうろし、飛行機に積み残されて一泊延びて、12才用の水着(それしかあわなかった)かってきて泳いでなんて過ごしたが、これはナイトクルーズで5日目くらいの夕方、やっと元気が出てきたところ。
あとは旅行の写真とか娘のアルバムに顔を出すくらい。昨日見つけたスナップ集。
約20年分の私の歴史。









