新年最初の木曜会は、恒例となりました大徳寺昭輝先生と田村の二人会。

「毎年この会は僕がヤリ玉になる会なんです。今年は何が語られるか楽しみです」と新年の挨拶後に先生をご紹介しました。

 

新春に相応しく和装での出で立ちで登場。お茶の文化を身につけられている先生の流石な装いでした。

さて会は、先生と田村との軽妙なやり取りの中、例年には感じられない心が引き締まる内容の先生のお話となりました。

田村がご縁をいただき、初めて先生にお会いして28年。新年最初の木曜会にお迎えするようになって10年が経ちました。 

 

お話は今のお役目に至る先生のキッカケ話から。

ご自身が思い出すキッカケとは…

小学校1年の時、僧侶が訪ねて来て、「私を救って下さい」と突然言われたそうです。その僧侶の絵を描いていると観音様が現われました。

その観音様に毎日お経を唱えたところ、「やっとご浄土に旅立てます。その代りに私はあなたを一生お守りいたします」と観音様は仰ったそうです。クリスチャンの学校でキリスト教を学んでいましたが、17歳の時に天理教の教えの元を創られた中山みき様が現れて、「あなたは天理に行きなさい」と言われ入信されたそうです。

 

小説家の亡き芹沢光治良先生が晩年、生命を授けられて神シリーズ、人間シリーズを書物としようとされた時に、大德寺先生の能力のことを全て書こうとしたのですが、おやさま(中山みき)に、

「この子のことを全部書いてはいけません。まだ10代なので周りが潰しにかかります」とたしなめられたそうです。

実は、簡単に説明すると、おやさまは大德寺先生の見えない世界からの指導役。現実には見えない存在ですが、大德寺先生との意思疎通は見えない意識の世界でのやり取りをされています。

 

令和の時代になって、おやさまから伝えられてくる、今まで以上に強調されている学びがあるそうです。

いま人間が育っていない。心を育てなければいけない」

湯河原に在るの『天命庵』。そこを心の学び舎として、毎月8の日(8、18、28日)におやさまの教えを説いています。その活動が今年40周年になるそうです。

他にも次のような話をしてくださいました。

今年は子年。

「子」は二つの言葉から成り立っています。完了の了と一。子年は十二支の始まり。全てが完了して一になる。

「皆さんは今年一になったのですから、人生の掃除をしましょう。要るもの、要らないものをしっかり仕分けて下さい。何が必要で何が大切なのか?本当に必要なことを学ぶ時期が来ている」と先生。

 

 

「南総里見八犬伝」にも出ている「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」が最も論語の中で美しい言葉です。

 

「仁」=愛し合うこと。認め合うこと。

「義」=正義。

「礼」=礼法。礼をつくす。相手の立場を思いやる。礼を重んじると神が働く。

「智」=自分が体験し経験して得るもの。

「忠」=中心。真ん中を歩く。偏らないこと。

「信」=信じることはとても大切なこと。

「孝」=土ノ子と書くので土である。大地は我々を守ってくれる神である。

「悌」=兄弟仲良く。

 

 

今年念頭におやさまが伝えてきた言葉は、

「愛しなさい」「与えなさい」「理解しなさい」と教えて下さいました。

その反対が、多くの皆さんが悩んでいることです。

「愛されたい」「与えてほしい」「理解されたい」をやめなさい。

 

 

講演中、先生とおやさまの会話で、とても印象的なお言葉をいくつかご紹介したいと思います。

言葉というものの心を解らないと、その言葉は開かない。例えば「愛」という言葉の意味が解らなかったら「愛」という言葉は開かない。

細く長く心を学びなさい。

八方塞がりでも天は開いている。

ひとりひとりが弥勒菩薩。

徳は身を潤す。富は家を潤すが身を潤さない。

 

一年のスタートにふさわしい、明るい道しるべとなった木曜会のスタートでした。皆様も是非心を育てる一年になさって下さい。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

大德寺先生、お客様、有難うございました。

                    (令和2年 1月11日 古谷 記)

 

芹沢 光治良:日本の小説家。静岡県沼津市名誉市民。 晩年には、「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」との信念により、"神シリーズ"と呼ばれる、神を題材にした一連の作品で独特な神秘的世界を描いた。

中山 みき:寛政10年4月18日(1798年6月2日 - 明治20年(1887年)2月18日)は、日本の宗教家、天理教教祖。天理教では、「教祖」と書いて「おやさま」と呼称。 Wikipediaより