今週の木曜会は赤塚高仁先生でした。
当日は全国的に寒波がきており、東京でも雨や雪がちらつく程の寒さでしたが、想像していた以上のお客様にお集まり頂きました。会場には先日講師としてお迎えした、先生の大親友である舩井勝仁さんもご来場されました。
本日のメインテーマは、繰り返し先生が伝道師のように伝え続けていられる
「魚に水が見えないように、 鳥に空気が見えないように、 日本人に日本が見えない…、今こそ日本は国を失ったことのある民族、イスラエルに学ぼう」というものでした。
この強い思いの根源は、29歳の時に糸川英夫博士に導かれ初めてのイスラエ
ルの旅が始まりでした。そこから30年、先生の人生は根っこから変えられたと
おっしゃいます。その間に、「ヤマト・ユダヤ友好協会」を設立して、記念碑も
建立されました。そして去年5月、「ヤマトとユダヤをつなぎ、最高の人生を生
きる」ことをライフワークにすると決めたのです。
その強い思いとは、日本人が失いかけている「ヤマトの心」をイスラエル人が有しているということです。糸川教授が残した「イスラエル人に学べ」という言葉に繋がっているのです。先生は、30年間に多くを見て、聞いて、学んで、
教授が自分に託した思いがひしひしと感じられるようになったと話されます。
先生のお話から抜粋します。
イスラエルはユダヤ人で成り立っていますが、ユダヤ人は世界の人口のわずか0.2%。しかし、0.2%のユダヤ人が世界の大富豪の中の35%を占めていて、しかもノーベル賞受賞者の中でも35%がユダヤ人。
彼らは2000年間、自分の国がありませんでした。国がなかったということは、ピアニストが少ない。逃げる時にピアノは持っていけないからです。いつ追い出されてもいいように、持っていったのはバイオリン。ミュージカルで有名な「屋根の上のバイオリン弾き」はユダヤ人の物語です。彼らは土地も持てない。バイオリンだって、ダイヤモンドだって取りあげられてしまうかも知れない。(※ダイヤモンドで有名な企業「デビアス」もユダヤ資本です)
ユダヤ人の一番の財産は知恵。何故なら奪われないからです。この知恵を命がけで身に着け、知恵を使ってお金を動かして利息をとるという仕組みを作ったのも彼らです。金融の仕組みはユダヤ人により作られたのです。
私たちはヤマトの心を持って、ユダヤの知恵を学ばなければなりません。
人類の歴史の中で、一度滅びた国がもう一度立ちあがった歴史は、イスラエル国しかない。日本は平成が終わり、新しい時代になれば世の中は大きく変わります。その歴史の大きな転換点に私たちは居るのです。
イスラエルに絶えることなく脈々と受け継がれているその秘密を、私たちが学ぶべき時が来た。日本人として生を受けて、この国を喜んで生きていくことが大事だということです。
そして、イスラエルに学ぶということの前に、すでにヤマト民族が有している「心」についてこんな話をしてくださいました。
ジョン・レノンの曲「イマジン」
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
実はこの曲の歌詞は日本で生まれたそうです。ジョン・レノンが伊勢神宮を訪れた時に感じたその空気感から得た心情から生まれた歌詞だという説があります。私たち日本人は本当に誇るべきことではないでしょうか?
テレビで自分の国のことを悪く言ったり、さげすむような人たちがもてはやされる。そんな国はどこにもない。まず自分の国に誇りを持てない人は、誰にも相手にされません。自分に踏ん張りがきかない。実はそのことを教えてくれたのはユダヤ人だった。
彼らは国を失い世界に散りながらも自分たちのアイデンティティーを失わずに生きてきたのは聖書を持っていたから。イエス・キリストを救世主と認めていないので、彼らにとってまだ救世主は来ていない。ただ聖書の中には東の国から救い主が現れるというイザヤ書の教えがあって、日本人が救世主じゃないかと思っているユダヤ人も沢山いるそうです。
旧約聖書と呼ばれている創世記、モーセ五書を「トーラー」という経典にして、彼らはユダヤ教として守り続けています。命に代えても守りぬく大切な巻物。良く大切な物を「虎の巻」と言いますが、その名はトーラーから来ているそうです。日本とユダヤはとても良く似ているというのが、30年間イスラエルに学んだ先生の感想でした。
皆さんもこの機会に少しユダヤのことを学んでみてはいかがでしょうか?
赤塚先生、お客様、悪天候の中ご来場いただきまして、有難うございました。
(追記)
1月31日木曜会当日、僧帽弁閉鎖不全症の手術の為、14日から入院していた田村が元気に退院して来ました。最新のダビンチ手術の為、こんなにも早く退院することが出来ました。次週2月7日の木曜会で田村本人から結果報告をさせて頂きます。皆様には大変ご心配をおかけしました。
(平成31年2月2日 古谷 記)