「自分で磨くしかない!」と心に決めた田村は、理想どおりのダイヤモンドを磨くためにカッターを探し、カッター樋口清氏と出会い、求める完璧なダイヤモンドづくりがスタートした。

1985年7月8日、四谷の小さなビルの地下室でダイヤモンドの研磨工場が開業された。

ダイヤモンドの研磨を始めるにあたって、樋口氏がカッティングの考え方や常識を教えてくれた。
田村はそこで驚くべき事実を知るのであった。

ダイヤモンドには磨けないのではなく、カッター会社には経済性を優先した
「完璧に磨かない理由」があったのである。
本当に美しく磨くのではなく、ビジネスになるように磨くこと。

それを聞いて田村は、求めるダイヤモンドが世の中に存在するわけがなかったと納得した。

長い間ダイヤモンドは、ビジネスという欲望が邪魔をして、中途半端な美しさのままだったのだ。
いい加減なビジネス優先のダイヤモンドが世の中の常識となって磨かれ、流通していたのだ。


田村は、ますますダイヤモンドのために本当の本物の輝きを引き出してやろうと思ったのだった。


しかし、完璧に磨く気になっても「完璧に磨けない理由」がダイヤモンドには隠されていた。

「磨けない」というよりも「ダイヤモンドが磨かせない」とも感じられるほどの、それは強い意志を持っていた。

ダイヤモンドは、この地球上で最も硬い物質である。
ダイヤモンドは、ダイヤモンドそのものの粉末でしか磨けない。

ダイヤモンドはなんと、すべての部分が同じ硬さではなかったである。完璧に磨く心で立ち向っても、
「少々の心では、しかも物欲に駆られた心などには決して征服されない」という程の強い意志が最も硬い物質、ダイヤモンドの中にはあったのである。

改めて始まったダイヤモンド研磨は、工程は同じでも再び磨いては駄目、直しては駄目という段階を経て完成に向かうのであった・・・・。

  



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