当時の走る毎日の道筋の中で、ちょっとド派手な不動産屋さんがあり、

 

『衣食住は、人間にとって無くてはならないもの。いつかこの不動産屋さんのような建物をつくれるようになりたいなぁ!不動産業を目指してみよう!』

 

と元々、不動産業に興味があったのもあり、そういう明確なイメージを初めて持った。

 

今思えば、相当な悪趣味な建物だったかもしれない!(笑)

 

3階建で1階に事務所と駐車場がある建物で、4本の柱の途中に金色の大きな球がある建物だった。(現存してたらすみません)

 

でもその強烈な建物のインパクトのお陰様で、私の将来の目標が明確になった。

 

会社を設立した数年後に、その不動産屋さんのある道を偶然通ったことがあった。

 

そして、その建物を見て、

 

『あぁ、そうだった!この建物を見て不動産屋さんになろう!って思ったんだ。今その夢を叶えられていて良かった。』

 

と、強く思った。

 

小倉智昭さんは、『とことん気になる11時!』のパーソナリティの頃は、テレビでお見掛けすることは、なかったが、大橋巨泉さんの『世界まるごとHOWマッチ』の中で、ナレーションをされていた。

 

私が、23歳になった昭和63年7月に創業をした頃に、同じ文化放送の『時計の針は今何時!』という朝7時からの番組のパーソナリティになり、またテレビでもお見掛けする回数が増えた。

 

テレビで活躍する小倉さんを見る度に、

 

『あぁ、小倉さんもどんどん有名になられて、活躍をされているなぁ~。俺ももっともっと頑張らなくちゃ!』

 

と、心を奮い立たせた。

 

会社の経営で当初の10年間ぐらいの間は、物事の100のうち99大変なことばかりの中でモチベーションを保っていくのに小倉さんがどんどんテレビに出て活躍する姿に本当に勇気をもらっていたのだ。

 

そんな小倉さんが、総合司会を22年続けられていた

『情報プレゼンター とくダネ!』

を3月末でお辞めになることを今年1月頃知った。

 

『今自分がこうして経営者を出来ているのも当時小倉さんを通して勇気をもらっていたからだ!何とかお礼を伝えたいなぁ~。』

 

と、思って過ごしていた。

 

3月25日の朝に『とくダネ!』を観ていて、

 

『いよいよ明日で終わってしまうんだなぁ。数年前にも小倉さんが大病された時もお手紙書こうか?と思ったけど見ず知らずの私の手紙なんて迷惑だろうし!と何もしなかったけど、このまま感謝を伝えないのは、後悔するなぁ~』

 

と、思った。

 

そして、番組を観ながら手紙を書き始めた。

 

その日の番組が終わる前に書き終え、手紙をその日のうちに小倉さんの所属事務所に私の著書や名刺と共にお届けする手配をした。

 

その翌日の3月26日金曜日の最終回の『とくダネ!』の放映は、新宿に向かう車の中で観ていた。

 

『お疲れさまでした。本当にありがとうございました。』

 

と車で一人ではなかったので、何度も心で思いながら小倉さんを観ていたのだ。

 

翌週の3月29日の月曜日に驚くことが起きたのだ!

 

なんと、私のスマフォのショートメールに

 

小倉智昭さんご本人からのメッセージが届いたのだ。

 

ビックリした~。

 

もちろん、ショートメールなので、小倉さんの携帯番号も分かる形でだ。

 

ありがたかった~~~。

 

自分が感謝を伝えたい。

 

あの頃に勇気を貰えたことに対する感謝を只々伝えたかった。

 

それだけだったから、小倉さんに感謝が伝わったことを何らかの形で分かる事だけでもありがたかったのに、こうして直接ご連絡を頂けたことに心より感謝をしたのだ。

 

私は本当に恵まれた人生を送らせていただいている。

 

感謝!感謝!

 

『小倉智昭さん、勇気を頂き本当にありがとうございました。そして、お返事を頂戴し感激を致しました。小倉さんのこれからの益々のご活躍をお祈り申し上げます。』

 

 

 

このような経験をさせてくださる神様、ご先祖様、守護霊様、背後霊様、指導霊様に本当に感謝です。