私達の頃八王子の不良はまず小学校高学年に自己主張を始め中学校の時から自分の中学校の強さを競うようになり個人は各中学校の中で根性の見せ場を争うようになりまたそれを他校にも出していく。

八王子には当時正確ではないが25位の中学校があり、その中で頭角を出していくのは大変な事だった。一つの中学校に平均20人から30人位のいわゆる当時のマスコミでいう言い方で番長グループがいたとすると個人では750人位のトーナメント戦と25の団体戦をしていたような感じだった。

それを各学年ごとにやっていた。当然に徐々に上下関係やグループが形成されてくる。だいたいどの代も完全にトップが決まることはなく2、3のグループに別れ個人のトップも完全に決着が着くことはほとんどない。

私の代も中学校を卒業した位で完全に個人のトップは決まることはなく数十名の有名人と大きく分けて2グループに分かれた。