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暴走族卒業後の私は物流会社に勤めその会社の社長に気に入られ取締役となっていた。

また、その社長と別会社を作りその会社の専務取締役にもなっていた。

その社長とは3年間くらい一緒に仕事をさせていただいたが大変仕事が出来る方ではあったが対人関係での価値観が私とは異なり、残念ながら袂を別れることになってしまった。

ただ、今現在の私があるのはその方との出会いのおかげだとずっと思っている。

この3年間の間に私は以前から暴走族時代に培った仲間との結束を何かに変えられないかとずっと考えていたのだが21歳のときに『NAC』:ナック福祉協議会というボランティア団体を設立した。

(ちなみに写真にあるNACのロゴデザインは趣旨に賛同してくれたイタリアントマトのデザインを考えた人がプレゼントをしてくれた。現在の私の会社のロゴもその人のプレゼントだ)

設立を考えたとき60人くらいの仲間に声をかけ集まってもらったが最終的には20人位の役員で私が初代会長としてスタートをした。

役員にならなかった40人は、やはりちょっと前までは暴走族でケンカばかりしていたような連中が急にボランティアなんていってもなかなか理解できないし、かっこ悪い、この会には協力はするけれど役員は勘弁してくれというのが大半の意見だった。

この会では毎年クリスマスにチャリティーパーティーをして企業等から協賛品を集めてはチャリティーオークションにかけその集まったお金とパーティーの余剰金から八王子の社会福祉協議会に寄付をしたり、6月くらいに1回と年末の一番人が集まらないときに献血センターで献血協力を200人くらいきてもらう呼びかけをしたり、福祉施設の訪問をしたり、八王子の福祉まつりの会場設営をしたりという活動をはじめた。

毎年続けたおかげでパーティーは400人くらい集まる盛大な恒例行事となった。来てもらったタレントはミスターマリックの弟子からはじまり、ブッチャーブラザース、電撃ネットワーク、大川興行が2回、マギー司郎、布施辰則、フォークダンスDE鳴子坂等など。

献血も毎年回を重ねるうちに今では当たり前になっている成分献血の協力団体日本第1号団体に指定されたりもした。

阪神大震災のときは赤ちゃんを育てている役員の意見で次の日には八王子警察から特別通行許可をとり、レンタカーの2トントラックで紙おむつを1台分被災地に届けたりもした。

こんな活動を続けていくうちに様々な人との出会いがあった。