「で、どうしようか」
金曜の16時。
会社の小さなミーティングルームで、
自分とB部長は、
本部長の第一声を聞いた。
どうしようか?......だと?
人事がここまでこじれたのは、
いったい誰のせいなんだ。
本部長は、膝元であるA部署から
A部長を外し、B部署のB部長を
A部署に据えた。
空いたB部署には、本部長が
名ばかりの部長として
兼任することになった。
しかしマネジメントはできないため、
C部署にいる自分が掛け持ちで
サポートし始めた。そして4月からは、
自分がB部署の専任になる予定だ。
同じく自分の業務パートナーである
エルサは、本部長のお気に入り
という理由で、4月からA部署の
グループ長になる。その結果、
現在A部署のグループ長である
A子さんが、B部署へ異動せざる
を得なくなった。
A部長を見事に排除し、
B部長も2月からA部署へ異動。
すべて思い通りに運び、
本部長はご満悦だった。
ところがある日、
生産部門の上層部会議で
本部長は、
「この部門と関係のあるA子さんが
異動する」
と、うっかり口を滑らせてしまった。
瞬く間に話は生産側に広まり、
そのうちの一人が、
何も知らされていない
A子さん本人に問い合わせてしまった。
「全く、生産の連中は常識がない。
普通、本人に言うかね」
いやいや、もともと漏らしたのは
あんただから。
守秘義務違反どころか、
周囲を巻き込んだハラスメント。
立派なコンプライアンス違反だろ。
「異動を半年ずらすか」
本部長は、自分とB部長を見た。
B部長が抜ける穴を、
同じ専門性を持つA子さんで
埋めるつもりだったため、
自分としてはかなり困った。
仕方ない。口を挟むか。
「A子さんの異動を白紙にするなら、
エルサさんは“ただの管理職”として
異動させるのですか?」
「いや、彼女にはグループ長にすると
約束してしまったから……」
何だそれ。どういう約束だよ。
「だとすると、A子さんは
降格人事になりますよね。
そして、マネジメントも
A部署の経験も無いエルサさんが、
実力者のA子さんを差し置いて
グループ長になる。
外部から見れば、あまりにも不自然で、
恣意的な人事に映ります」
「どういうこと?」
本部長は、全く理解できていなかった。
「生産部門は今、A子さんの動向を
注視しています。B部署に
行かなくなったとしても、
降格人事になれば、何かトラブルが
あったと勘ぐるでしょう。
実際には、A子さんは何も
失敗していません。
それが分かった時に、
『本部長がエルサさんを優遇するために、
A子さんを切り捨てた』
と邪推されます。そうなれば、
本部長ご自身の立場が
悪くなるだけでなく、
エルサさんも現場で孤立します」
実際、エルサは美人だ。
本部長と何かあったんじゃないか
と思われても、おかしくはない。
「A子さんをA部署に残したままで、
エルサさんを昇格させるのは、
あまりにも不自然です」
「じゃあどうしたらいい。
生産の連中がモラルが無いせいで
こうなったんだ!」
どこまでも責任転嫁を続ける
本部長を横目に、自分は妥協案を
提示した。
「兼任しかないのでは?
A子さんをB部署のグループ長に据え、
A部署も兼任で見る。
そうすれば降格人事にはなりませんし、
『A部署から外された』とも
言われません。時が来たら、
A部署の方を外す事にすれば、
今回の騒ぎの影響は最小限で済むかと」
「それしかないかね。
でも作業量的にはどうなんだ」
本部長は、藁にも
すがるような様子だった。
「A部署業務 8:B部署 2くらいが、
現実的な限界でしょう。
もしB部署が回らなくなったら、
A部署からこちらにヘルプを
出してください」
「了解です。
それはどうにか調整します」
B部長が自分に言った。
しかし、なんでこんなバカげた
調整をしなきゃいけないんだ。
「では、A子さんを呼んできますか?」
B部長が言った。今日彼女は、
テレワークではなく、出社している。
「僕が説明するんだよね……」
本部長の声は、弱々しかった。
「当然ですよ。人事権は、
私たちにはありませんから」
B部長はすぐにミーティングルームを
出て、居室へ向かった。
残された自分と本部長の間に、
重苦しい沈黙が流れた。
5分後、B部長とA子さんが現れた。
おそらく、生産部門からの情報で
察しはついているのだろう。
「何でしょうか」
A子さんはそう言って
ノートPCを開き、
メモを取る準備をした。
「実はね……」
本部長が、かつてないほど
卑屈なトーンで兼任の説明を始めた。
一通り聞き終えた彼女は、
静かに口を開き、鋭く問いかけた。
「A部署には管理職が3人います。
なぜ、私だったんでしょうか」
部屋の空気が、一瞬で凍りついた。
彼女の目は、悔しさと困惑で
微かに潤んでいた。
本部長は言葉に詰まる。
まさか、エルサを入れるため
とは言えないだろう。
この空気は耐えられない。
仕方がない。自分が拾うしかないか。
「マネジメントは引き続き、
B部署でやってもらいます」
「えっ? 兼任がA部署の方なんですか?
本筋はB部署で、そのマネジメントを
して欲しいと?」
「はい、そうです」
「ということは、いずれA部署から
外れるってことですか?」
「A部署が回らなくなった場合は、
B部署を外れるという選択もあります。
ただその時、グループ長でないと、
戻る際に降格になります」
「で、なぜ私なんですか?」
「3人のうち1人は、
単なる管理職なので対象外です。
もう1人のグループ長、A男くんは……
言いづらいですが、元A部長と同じで、
コミュニケーション力が高くない。
そのため、部門間の調整は厳しいです。
その点、A子さんはB部長と同様、
多くの部門から信頼を得ています。
B部長が異動になる以上、
同等レベルの調整力が必要です。
さらに、高いマネジメント力と
A部署の専門性を併せ持っているのは、
A子さんしかいないんです」
「言っていることは、わかりました」
本部長とB部長の表情に、
わずかな安堵が戻った。
その後、自分はB部署の
来期の業務構想を説明し、
何を担ってほしいのかを話した。
「みなさん、申し訳ないけど、
次の会議があるので抜けるね」
そう言うと、本部長は
部屋を出ていった。
逃げやがった。
自分たちも部屋を出ようとしたが、
A子さんが引き留めた。
「エイトさん、もう少し詳しく教えて」
本部長がいなくなったのだから、
そうなるよな。自分とB部長は、
再び席に着き、引き続き
話すことにした。
ただ緊張感は、
かなり和らいでいた。
自分は口調を変えた。
「A子さん、生産から何か聞いてた?」
「聞いた。突然で
本当にびっくりしたよ!」
表情が少し緩んだ。
「ぶっちゃけ言うね。
グループ長で異動しないと、
年収が下がるんですよ」
「ああ、そうか」
A子さんは、少し上を向いた。
「でね。来てほしいのは本心なんだ。
でもA子さんは、A部署の領域を
ずっとやってきたじゃない?」
「そうなんだよ。
その領域一筋でやってきたのに、
いきなりだったから、かなり動揺した。
でも兼任って言っても、
A部署は繁忙期が読めないから、
正直きついよ」
「そこは、僕が責任を持って調整する」
B部長が言った。
「私の方も調整します。
場合によっては、こちらの仕事の比率を
かなり下げることも検討するよ」
「それは。。。兼任するなら、
中途半端なことはできないよ」
A子さんが、責任感の強い人だと
いうことは分かっていた。
自分がここに転職してから、
もう8年近くになるが、
彼女はそれより前から
この本部にいた。B部長に至っては
10年以上前から同僚で、
以前は同じ部署にもいた。
「週末に考えてと言われたけど、
これって「No」と言える
選択肢はあるの?」
自分とB部長は、言葉に詰まった。
「……正直、来てくれないと困る。
でも、「No」と言われたら、
本部長の方がもっと困るかな」
「どういうこと?」
「まあ、とにかく、
悪いようにはしません」
B部長は、その質問を遮るように
言葉をかぶせた。
自分がエルサのことを
言い出すのではないかと、
感じたのだろう。
その後、さらに細かい業務の話をし、
本部長が逃げてから30分ほど経って、
ようやく3人で部屋を出た。
エレベーターの中で、A子さんが訊ねた。
「二人は、兼任ってやったことある?」
「自分は、前の会社であります」
「僕もあります」
「どうやって回したの?」
「回したんじゃない、回すんです!」
二人は、声をそろえて言った。
A子さんは、小さく笑った。
ただ、この笑いと「異動承諾」は
別問題だ。週末を挟むのだ。
彼女が大きく攻めに
転じる可能性もある。
「では、よろしくお願いいたします」
自分たちは、A子さんに
軽く頭を下げた。
まったく、バカ殿とその家臣みたいだ。
さて、月曜日。
どんな返事が返ってくるんだろうか。