社用ポケットWi-Fiが手元に戻ってきた。
出張中に新幹線へ置き忘れたものだ。

 

日本という国だからこそ、
きちんと落とし物センターへ
届けられるのだろう。
昇格早々、始末書を書かずに
済んだことに、まずは胸をなでおろした。

ところが安堵も束の間、
本部の次長から、
一台のスマートフォンが差し出された。

「はい、どうぞ」

「……ああ、ついに持たされるんですね」

半ばあきらめの気持ちで

受け取った。

せっかく戻ってきた

ポケットWi-Fiだったが、
会社スマホで、テザリングが

できるという理由で、
入れ替わりでリース会社へ

返却されることになる。

スマホを何台も持ち歩くのは

性に合わない。
PCでリモートができる以上

Wi-Fiで事足りる。
スマホを持たされるとなれば、
他社からの電話が所かまわず、

かかってくる。

それは煩わしい。

「エイトさん、

 昇格おめでとうございます!
 どうですか、新しい席の座り心地は」

D部署のグループ長が、
わざわざデスクまで挨拶に来てくれた。
彼女とは自分がC部署にいた頃、
よく一緒に仕事をした仲だ。
B部署へ異動してからは
扱う分野がまるで変わってしまい、
接点はほぼなくなる。

今回の昇格が決まってから、
周囲の空気が少しずつだが、
確実に変わっていくのを感じている。
かつての業務パートナーであるエルサも、
4月からA部署のグループ長になったが、
私の昇格発表があった3月下旬ごろから、
彼女の対応は明らかに変わった。

それまで業務用チャットでは、
既読スルーか🙇‍♂️のアイコン一つで
済ませていたのに、

正式発表の後からは

「承知しました。お手数をおかけしますが、
 どうぞよろしくお願いいたします」

と、きちんとした文面が届くようになった。

プライベートのLINEにも動きが出てきた。
前職のメンバーでつくる「近所会」の
グループラインからは、

「お誕生日おめでとう!
 そして昇格もおめでとう!!」

というメッセージが届いた。

誕生日?
誰かの誕生日と勘違いしているらしい。
しかし続けざまに何人もが

「お誕生日、昇格おめでとう!!」

と乗っかってくるものだから、
今さら訂正するタイミングも失い、
結局

「ありがとうございます」

とだけ返した。

そのグループの一人、
ミワさんからは、
愚痴のメッセージが続いた。

「私の方は、今週月曜も
 部長と言い合いでした💦
  もう、退職を前倒しすることも
  考えています。考えが古くて

  頑固な上司とはやっていけません!
  また飲み会で愚痴を聞いてください!」

彼女は九州出身の第一子長女で、
弟がいる。ふと気づけば、
自分の周りの同僚にも
第一子長女が多い。

エルサには妹と弟がいて、
B部署管理職のB子さんも弟持ち、
A部署とB部署兼任のA子さんも弟がいる。

みんなに共通しているのは、
女性同士ではそれほど苦労しないのに、
男性の上司とはぶつかりやすい
という点だった。
これから自分も、エルサの時と同様に、
またいろいろと言われる立場に
なるんだろうなと覚悟はしている。

ただ、昇格して明確に変わった
プラスの側面もある。

「やりやすくなった」という感覚だ。

以前は何かを動かすたびに
多くの承認が必要だったが、
今は自分一人の判断で動ける場面が
ぐっと増えた。その分、
責任の重さも増したわけだが、
仕事の「手触り」は格段に良くなった。

気のせいかもしれないが、
グループ長だった頃と比べ、
人が集まってくることも
多くなったような気がする。

元業界団体の活動班の
グループチャットにも、
久しぶりに連絡が入った。

「一線を退いて異動になったので、
 比較的時間が取れます。
 飲み会でもしましょう」

D部署のグループ長からも声がかかった。
「近々、飲み会を企画してくださいね。
 みんな行く気ですから」

D部署で昇進した女性がいて、
みんなで祝おうという趣旨らしい。
結局、立場が変わっても、
幹事は自分のところに

回ってくるらしい。
ただそういう趣旨なら、

喜んでやろう。

その他にも、凍りついていた
いくつかの関係がある。
春を迎え、雪解けとともに流れ出し、
また芽吹いてくれればいいと
願っている。

飲み会でも寿司でも、
何でもやりますよ。
それが、止まっていた時間を動かし、
再び関係を結び直すためのきっかけに
なるのなら。

明日は近所の桜でも見に行くか。


支給されたスマホの充電はしないままで。