広島出張はやっぱり遠い

 
東京から新幹線で片道4時間。
往復するだけで一日の労働時間が

消えていく。

その日の広島での業務は

14時に終わり、逃げるように

15時台の新幹線に飛び乗った。 

確保したのは、2列シートの窓側。 
あわよくば、このまま東京まで
隣が空席であってほしい
そんな淡い期待を抱きながら、
PCを開く。

4時間と言っても、

溜まったメール案件を

処理し、業務用チャットを

打ち返していれば、
意外と時間は過ぎるものだ。
テレワークが普及した今、
場所がオフィスだろうが
時速300kmで移動する箱の中だろうが、

やることは変わらない。

ただ、環境は傍にいる人によって

変わる。 

神戸を過ぎたあたりだった。 
通路を歩く影が止まり、
一人の男性が自分の隣に座った。

年齢は70代後半といったところか。 
正直、少し残念だった。
「隣席ブロック」の願いは、
西日本で脆くも崩れ去ったわけだ。
自分は気を取り直し、
業務報告書の作成に取り掛かった。

しばらくすると、

隣から規則正しい寝息と共に、
物理的な圧を感じ始めた。 
隣の老人がうとうとし始めたのだ。

電車の揺れに合わせ、彼の上半身が
振り子のようにこちらへ傾いてくる。 
キーボードを叩く手が止まる。
傾くたびに、自分は身じろぎをして
無言の抵抗を試みる。
その気配で老人はハッと覚醒し、
体勢を立て直すのだが、
数分もすればまた意識は

奈落へと落ち、自分の肩へと

沈んでくる。

肩に棘のあるスーツを

着てくればよかった。

そんな不毛な攻防戦を繰り返し、
報告書の進捗が完全に
停滞していたときのことだ。

「山崎さん! 

 ぼくはね~、思うんですよ」

突然、通路を挟んだ反対側、
3列シートの方から大きな声が
飛んできた。 声の主は、
隣の老人と同じくらいの

70代と思しき男性。
どうやら知り合い同士で、
通路を挟んで座っていたらしい。

私の隣の「山崎さん」は、

夢うつつの中で反応しようと

もごもごしている。
しかし、3列シートの老人は、
山崎さんの覚醒を待たずに話を続けた。

「やまざさんねえ~、僕は言ったんですよ。
 もうね、みんな高齢になったし、
 ほら、足の悪い人や、

 体にもガタが来ているし、
 不参加の人も増え始めているので……」

3列爺の声はよく通る。

「もうこうやってね~、
 この集まりを継続することは、
 難しいんじゃないかってねえ~、
 だから、言ったんですよ」

集まり?同窓会?趣味の集まり?
仲間と「終活」の事なんだろうか。
いずれにせよ高齢化によって
維持が困難になったコミュニティを、
どう畳むかというシリアスな議題だった。

しかし、肝心の山崎さんは沈黙している。 
聞いているのか、寝ているのか、
単に相槌を打つのが面倒なのか。 
山崎さんの反応がない分、
3列爺の視線が泳ぎ、

なぜか自分の顔周辺で
止まる瞬間があった。

「なのにねえ~、高橋さんは、
『いや! まだできるよ!』って
 強気に言うんですよ! でもね、
 さすがにどうかと思うんですよ」

知らんがな


心の中で突っ込むが、
3列爺の熱量は下がらない。
ふとそちらを見ると、
バチッと目が合ってしまった。

「どう思う、山崎さん!」

え、オレ?

いまオレに言った? 

それとも手前の山崎さん?


山崎さんは、気配を消している。 
3列爺はずっとこっちを見ている。

 

これって、自分が答えるべき?
 「そうですね」って?

おい、山崎さん。起きてるなら
目線合わせてやってくれよ。

3列爺の瞳は、「同意」を渇望していた。 
高橋さんという強硬派に対して、
自分は間違っていないと

確信したいのだ。

「やっぱりね~、高橋さんは、

 間違っていると思うんだよね!」

3列爺がダメ押しをしてくる。 
代わりに言ってあげたい。


 『高橋さんは間違ってますよ。
 もう無理せず解散しましょう』と。

こう言えば、この場は収まるのか?

「……じゃあ、山崎さん、
 よく考えてまた教えてくれよ!」

自分が葛藤している間に、
3列爺は言いたいことだけ言って、
満足したように座席深くへ沈み込み、
そのまま入眠した。

本当起きてた? 寝言じゃないよね

隣を見ると、山崎さんもまた、
深い眠りに落ちていた。 
取り残されたのは、全く進んでいない
報告書と自分だけだった。

それからしばらくして、
車内アナウンスが

名古屋の到着を告げた。

「山崎さん、降りるよ!」

シートからむくりと起きた3列爺が、
自分の隣の山崎さんを揺すった。 
山崎さんは驚くほどスムーズに
意識を取り戻し、荷物を持って

立ち上がった。 二人の老人は、

何事もなかったかのように
デッキへと歩いていく。

去り際、自分は喉元まで
出かかった言葉を飲み込んだ。

「高橋さんの件、
 彼が間違ってると思いますよ!」

まあ、終わらせたいけど

終わらせてくれない

高橋さんを巡る議論は、

考えなくても、集まりは

自然の摂理として

消滅していくと思うのだが。

山崎さんが降りた後、
座席は少しだけ広くなった。

広島は遠いな。 名古屋につくまでに
こんなドラマがあったとはな。

自分は静かになった車内で、
白紙に近い報告書に向き直った。 
もう自力で書く気力はない。
構成案だけ箇条書きにして、
あとはAIに生成させてしまおう。

ようやく3週続いた出張は終わる。 
しばらくは、もうこりごりだ。 
というか、もう行きたくない。

山崎さんだって、

本当は行きたくないはずだ。
そんな集まりに。

分かりますよ。


どうぞお元気で。