$R40 無名バンド NYへ行く



 前に書いたようにオレがNYでライブをやろうと思ったのは、初めての海外旅行のとき2005年の冬だ。オレは漠然と一年後の冬を目標として動くことにした。
その理由は単純、


 1月後半~3月前半の航空運賃が安かったからだ。



 ざっと思い当たる課題は以下のようなものだった。

 ・英語が話せない。
 ・ブッキングのやり方がわからない。
 ・ライブハウスに機材はあるのか?
 ・費用はいくらかかる?
 ・メンバー全員が休みをとれるか?

 その他にもいろいろとあるはずなのだが、当初思いついたのはそれくらいだった。


 これら中でオレが一番心配だったのは他でもない、英語だ。
それ以外は日本でライブをやっている経験上、一年前からジタバタすることじゃないと思われた。


 オレはおろかメンバーの中でまともに英語をしゃべれる者はいない。かといって後々やらなければいけないブッキングのときなど英語は不可欠だ。メンバーの誰かに「よろしく頼む」と振ってしまいたいところだったが、オレが発案者である以上……、いやそれ以上に、彼らがまともに引き受けてくれるとは到底思えなかった。

 というわけでオレはまず他の問題はさておいて英語の勉強から始めることになった。


 次回よりNYライブ実準備編1「言葉」をお送り致します。
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 2010年現在、オレはまもなく40になる。

 十数年前、あれほど周囲にいたミュージシャン仲間のほとんどは足を洗ってしまった。自宅で日々楽器を手にしたり、イベント的に弾ける仲間がたまに集まってスタジオでジャムることはあるのかもしれないが、定期的にスタジオに入ったりライブをするようなバンドを同年代で続けている者は数人ってところだ。

 どこの常識なのだろう? 30歳になるまで売れるかどうかが見切りをつけるポイントなのだそうだ。就職、結婚、世間体、様々な大人の事情により、皆あっさりと音楽を捨ててしまった。今も付き合いのある奴もいるからあまり大きな声で否定は出来ないが、なにもやめることはないと思う。会社員になったらメジャーアーティストを目指してはいけないのか? 定期的にライブをやったら結婚生活に支障をきたすのか? 当時「ケジメ」という言葉をよく耳にしたが、オレには上手いこと理由をつけて逃げているようにしか見えなかった。

 自分ではめた足かせを自分で外すのは自由なのだから、理由や言い訳なんていらない。


 エイトマイルロードはオレが30のときに結成したバンドだ。当時からメンバーは4人とも週5日以上出勤の職に就いている。

 かつて20代の頃そうしたように極力バイトを減らし、週3回4回とスタジオに入り、共同生活をしながら事務所やレーベルに売り込みをかけているミュージシャンの方々は甘く見るなとおっしゃるかもしれない。
がしかし、オレは昔からこう考えている。

 物事を成し遂げるにあたってのペースやスタイルは自分で決める権利がある。

 二兎を追ってなにが悪い? 目標があるからといって日常生活において節制しなければいけない理由なんてない。それで本当に音楽で飯を食う気があるのか?と意義を唱える方もいるだろう。だが、オレは胸を張って言える、「もちろんそのつもりだ」と。そしてこうも付け加える。


 売れたいには売れたいが、それ以上に飢えたくない。


 メンバー4人で呑んでいてこんな話が出たことがある。

「仮にどこかの物好きな事務所がオレらについて、仕事を辞めろと言われたらどうする?」と。

 メンバーには妻子持ちだっている。そう簡単に無収入になるわけにはいかない。オレに限っては絶対に即辞めるねと豪語するが、さて実際そうなったときはどうだろう、自分の言葉を守る自信はない。

 いずれにしても最終的にはこういう結論に至る。

「そうなったらそうなったで、そのときに考えよう」と。

 そして手をあげ、店員を呼んで中生のおかわりを4つ注文するのだ。このバンドが長く続いてるのは、あまり物事を深く考えていない人間が集まっているからなのかもしれない。

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集客がある程度なければ出演出来ない敷居の高いところから、音源すら聴かないなんでも来いのハコまで。要は店側のニーズを踏まえれば実力は関係ない。

経験上、ブッキング成功の秘訣はサウンド面よりもむしろ英語やコミュニケーション力にあると思う。

 それでもアナタに自信がなくて躊躇してしまうと言うのなら、ひとつアナタが既に持っている有利な点を教えよう。それは……、


アナタが日本人であることだ。


 一時ほどではないにしろ今だアメリカにおいての日本文化の人気度は高い。NYでもロスでも街を歩けば、漢字のTATOOをゴロゴロ目にすることが出来るし、エンタメ方面でも向こうで人気を博しているアーティストが大勢いる。日本人が「ライブをやりたい」と連絡をしてきた。それだけで見慣れた現地のインディーバンドよりも目立つ存在になることは間違いない。



 オレの友人のエピソードにこういうのがある。

彼はその時季が夏だったこともありロサンゼルスの旅行に何を思ったか藍染めの作務衣に雪駄という出で立ちで赴いた。
日本ではとりわけ目立つことのない1億分の1の彼であったが、空港に着くや否や芸能人ばりに現地人の熱い眼差しを浴せられ、ストリートを歩けば「サムライよ。その服を売ってくれ」と幾人ものブラザーに懇願されるわ、買い物をしにショップに入れば女性店員に食事に誘われるわと、相当な持てはやされようだったそうだ。

 オレは仮にブッキングが難航した場合、彼の経験をパクりメンバー全員の着物姿のジャケを作って送りつけるつもりだった。実際にはそこまでは至らなかったので実践はしていないが、今思うと新たな人生が待ちうけていたのではと残念な気がしないでもない。