$R40 無名バンド NYへ行く




 エイトマイルロード(以下、EMR)、それがオレの属するバンドの名前。
結成したのは今から10年程前、オレが30歳になったかならないかの頃だ。

 音楽性を一言で片付けてしまうと、いわゆるワン、ツー、ギャーン!のロックなバンドである。どのアーティストをリスペクトしていて、どういった方向を目指しているのか?など、これを読んでもらっている方々にはどうでもいい話だし、NYでライブをするにあたってはジャンル、スタンスなど関係ないので多くは語らない。ただ、どの程度の力量でライブに臨んだかは皆さんの目安になると思うので、興味のある方は、百読は一聴にしかず「MySpace」のアドレスを記しておくので我々のページを閲覧してみて欲しい。


MySpace エイトマイルロード
http://www.myspace.com/eightmileroadjapan


MySpaceについては今さら説明の必要はないだろう、言わずと知れた世界規模のソーシャルネットワーキングサイトである。同ジャンルのサイトで日本において最も普及しているのはおそらくミクシィだが、ここは音源の再生機能がついていたり、閲覧だけならメンバー登録や知人からの紹介なども不要という点から、プロアマ問わず世界中のミュージシャンのマストアイテムとして利用されている。

もちろん、MySpace上に登録した音源やバンドプロフィールは世界中で閲覧可能だ。このサイトは閲覧する国によって表示される言語がその国の言語に自動変換される。ただし、自分で登録した曲名やプロフィール文などは翻訳されないので、海外からの閲覧を見込んでいるのであれば英語、もしくはアルファベット表記に最初からしておいたほうが後々の手間が省ける。日本語のフォントが入っていないPCだと文字バケしまうからだ。

 さて、自分たちの話に戻らせてもらう。音楽というものは好みもあるのでいろんな意見があると思うが、とにかくオレたちはこのようなサウンドを引っさげてNY公演に臨んだのである。

オレたちのホームグラウンドは東京。この頃、スタジオリハは1回2時間を月に3~4回、ライブは2~3ヶ月に1回と、本気を自負するバンドとしては活動量が非常に少ない。

ライブに来てくれるお客さんはほぼ全員がメンバーの友人かその知人。チケットを無料でばらまくことも多々あった。1回のライブの集客は20人ぐらいが最高だったと思う。

 サイトにUPしている音源は、貸しスタジオのレコーディングパックなどは高いので利用せず、自身で購入したハードディスクレコーダーで行ったものだ。ドラム以外は宅録で、歌も隣人がいなそうな時間を見計らってひとりワーギャーとがなっていた。

 音源を聴いてみて皆さんはどのような感想を抱いただろう? 良いの悪いの様々な意見があるのは当然でしょう。まあしかし、ここにおいてそれは重要な問題ではない。ことNYでライブをやるということに的を絞ると、テクなど二の次だとオレは思う。オレたちは長年やっていて、好きなサウンドがこんなで、たまたまこのようなスタイルになっただけのこと。けして、うるさいロックじゃなきゃいけないとか、ある程度のスキルが必要であるということはない。なぜなら、先日も触れたが、本当に無茶苦茶な奴がステージに上がっていることがあるのだ。演奏が途中で止まったり、酔ってフラフラだったり。しかし、彼らの表情は一様にハッピーであった。その誰もが、自分たちが勝手に世界の中心となり絶叫していたのだ。そう、彼らは……、


 「やれる」からではなく「やりたい」からステージに上がっているのだ。
$R40 無名バンド NYへ行く



 話はさらに一年前にさかのぼる。
 年に一度の大掃除の際、ゴミ溜めのような引き出しの中にオレは一冊の赤い手帳を見つけた。

 日本国旅券(パスポート)……。

 発行年は1998年、パラパラとめくってみると。中は真っ白、ひとつの判も押されてないではないか。なんて不憫な少年であろう。7年もの間、この暗闇の中で震えていたというのか。過去に勘違いのステイタスでこんなものを作ってしまった己の罪はあえて棚に上げさせてもらうが、よおしここはひとつオイちゃんがお前を大人にすべく一肌脱いであげようではないか……。

 というわけで使いきれてなかった有給を取得し、思いつきから2週間でオレは単身、地球の歩き方を一冊抱え、挙動不審者のようにおどおどしながら金属探知機を潜ったのであった。

 何故そこで選択した街がNYだったのか? 今となっては記憶が薄いが、ビーチって柄じゃないし、遺跡とか自然も興味ないし……。そんな消去法的なチョイスだったような気がする。



 警戒していた時差ボケとやらもなく、到着したオレはすぐにマップを頼りにあのNYパンクの殿堂CBGBに向かった。

当時、既に観光地と化したと一部では罵倒されることもあったCBGBだったが、オレには初めて海外に来たというチンケな達成感もあり、修学旅行の学生のように目をキラキラさせていた。もちろん店内は外人ばかり、受付の首にまでTATOOが入ったニイちゃんに早口でなにか注意された。ビールの注文の仕方がわからなかった。

 訳もわからず空いてる席に浅く腰掛けて間もなく、最初のバンドがのそのそとステージに上がり、音出しを始める。もちろんメンバーは全て外人でオレは、ここでラモーンズが……、パティ・スミスが……と、まだノンアルコールのクセに興奮に打ち震えた。

 やがて照明が落とされた。間髪入れずにドラムスティクがカウントを打つ、ワン、ツー……、ギャギャーン!


 微妙だった……。


キチンと演奏はしているのだが、それほど格好良いとは思えなかったのだ。まあ趣味の問題もあるからねと、オレは次のバンドに期待した。しかしながら、次のバンドも、その次の次のバンドも、オレの期待に答えてくれることはなかった。


 なんだ。日本のライブハウスに出てる奴らの方がイケてんじゃん。


 お世辞、強がり抜きでそう思った。オレは4泊6日の旅中に他に5件のライブハウスに入ったが、色眼鏡を外しても確実に半分以上のバンドよりも自分らのパフォーマンスの方がカッコイイと思ったのだ。

 オレは考えた。果たして日本に戻ってこの事実を主張して、皆が信じてくれるだろうか? 答えは出ている。もちろんそいつはNOだ。そんなヨタ話でYESと言わせたならとうの昔にオレは詐欺師として大成しているはずだ。誰がたかだか日本の食えてないバンドがNYの連中より上と言って信じてくれる? 酒の席のいいネタにされて隠ぺいされるのがオチである。

どうする?

……ならやりゃいいんじゃん、そんなら信じてくれるだろう、とそのときのオレは安直に決意してしまっていた。この地でライブをやってやるぞと。



 たった数日の滞在ではあったが、この旅行でオレはNYにおいての音楽の密着度が日本よりも遥かに高いという事実を肌に感じてもいた。正直言って、偉大なミュージシャンが数多く生み出された街ということよりも、そっちのインパクトの方が強く残った。上手かろうが、下手だろうが、ガキだろうが、ハゲあがったおっさんだろうが楽しそうにステージに上がっている。

 日本のバンドの背中の一部には悲壮感が貼りついている。上手く演奏しなきゃいけない。一刻も早く売れなきゃいけない。ライブハウスの店員に嫌われてはいけない……。

NYでオレが足を運んだ店で演奏していたバンドマンたちにそんな表情はみじんもなかった。ただ楽しきゃいんでないの? なんで好きなことやるのに年齢制限があんの? 彼らが発する汗とか奇声は全てを笑い飛ばすようなエネルギッシュなものであった。

$R40 無名バンド NYへ行く


 これから話しを進めるにあたってオレたちのバンドの当時の処遇を書いておく。NY(海外)でライブをやりたいと思っているミュージシャンの方は比較対照にするとイメージがしやすいのではないだろうか。


・音楽事務所、レーベルはついてない
・全員、英語が話せない
・当時、メンバーの年齢は全員30代半ば以上
・全員が週5日以上出勤の仕事についている
・妻子持ちのメンバーもいる


 他のメンバーは怒るかもしれないが、オレたちはどこにでもいる普通の売れてないバンドだ。いや今後、世に出るバンドという観点で言うとむしろ


普通以下


と言えることがよくおわかりであろう。

どうでしょう?「自分らでも出来るかも……」って思えてきたのでは? でも逆に言えば、これらの条件下でも海外でライブが出来てしまったというのも事実。

 まともな奴だったらなんの実績もなく、事務所もレーベルもついてない時点で、海外にてライブをやろうなんざ頭を過ぎらないであろう。でもオレはメンバーの迷惑など気にもせず思ってしまったのだ。そのきっかけについては次回……。