平凡なこと
ボクは平凡でいいです。 普通に朝起きて食事して、散歩ができて、食後に、お昼寝をして、また夕方散歩をして食事して、テレビを見ながらうたた寝をして、最後は就寝。 毎日が同じで、たまにドッグランとか、ペットホテルやトリミングも行きますが、ただ平凡に生きてます。きっと、このままずっと同じ日が続くのかもしれません。 でも、それがボクの一番の幸せだと思うのデス!?******** ChatGPTに聞いてみました。「どうしてSNSは悲観的な話が多いの?」と。回答は「平凡な話はウケないので、誰も書かない。やはり失敗した話は、成功した話よりずっと刺激的なので、悲観的な話が多くなっている」とのこと。 つまり、大局的に俯瞰すれば、日常はSNSの世界ではわからない。SNSの世界は極めて歪(いびつ)な世界のようです。ということで、今日は平凡なことを書いてみる気がしました。 クルミといつもの散歩をしてベンチに座っていると、昨日あった1枚の枯葉がなくなってました。昨日は、オー・ヘンリーの「最後の枯葉」の心境で”この枯葉がなくなったら何かするかな?”と思ったのですが、誰も偽の枯葉を描いてくれないので、「たった1日前のことなのになあ」と、あっけない思いをしてしまいした。その代わりに、ベンチには、ピンクのナンテンの実が落ちてました。 すると近所の方らしい人が近くに来ました、声をかけようとすると、気づかなかったのか、そのまま通り過ぎました。人違いだったのかな? すごく寒いので気晴らしにクルミとおしゃべりをします。「今日は寒いね」「今日は富士山見えるかな?」「散歩は楽しいの?」と話しかけてもクルミは視線すら私に向けてくれません。はっと気づくと、通りすがりの人が2人通り過ぎます。「拙い!聞かれちゃったかな?」と思いつつ、若い頃、昔は馬鹿にしていた「高齢者の犬との会話」を、私がやっていたのだと気づきます。 帰りは、回り道をして富士山がかろうじて見える通りに行きましたが、残念なことに雲で覆われていて富士山は見えませんでした。今度は周囲に人がいないことを確認してから「残念だね」とクルミに言って、家に帰りました。 途中は車や自転車が通る道があり、その都度、クルミを側道に導いて私はその横で動かないようにしてやり過ごします。たまに車の運転手の方が目でお礼を言います。宅急便の方は丁寧で、よくそうしてくださいます。 また、人間とすれ違う時はクルミを見て声をかけてくれる方も多いです。学生は「かわいい!」「ちょっと見て、見て!」程度ですが、高齢の方は腰を下ろしてクルミに「えらいね、ちいさいのにお散歩できるんだ」とか「あら、私をみてくれるの、ありがとう!」と言って立ち止まると数分のお話になることもあります。「年は?」「男の子?」の質問から始まって話は膨らみ続けます。 ・・・・まるで他愛のないことですが、これが平凡なことです。こんなことが日常にあふれていて、SNSと違う本当の世界が実在するのです。 また、気がついたら、平凡な話をしようと思います。++++++ 株は米国はAI,半導体株は下がりましたが、基本的に米国はクリスマス休暇なので、慌てず騒がずです。日本は週末に日銀が利上げ0.25%するので、少しは波乱があるのかも?こうやって大納会に向かっていくのでしょう。平凡なことAmazon(アマゾン)